の迷惑を村のものにかけまいとした。一村の父というべき半蔵にも万福寺の本堂へ火を放とうとするような行ないがあって見ると、周囲にあるものは皆驚いてしまって、早速《さっそく》山口村の医師|杏庵《きょうあん》老人を呼び迎えその意見を求めることに一致した。一同のおそれは、献扇《けんせん》事件以来とかくの評判のある半蔵が平常《ふだん》の様子から推して、いよいよお師匠さまもホンモノかということであった。
こんな取り込みの中で、秋の祭礼は進行した。青山の家に縁故の深い清助などは半蔵のことを心配して、祭りの前夜は旧本陣に詰めきり、自宅に帰って寝るころに一番|鶏《どり》の声をきいたと言っていたが、その清助も祭りの世話人の一人《ひとり》であるところから、町の子供たちが村社の鳥居前から動き出すころには自分で拍子木《ひょうしぎ》をさげて行って行列の音頭《おんど》をとった。羽織袴《はおりはかま》の役人衆の後ろには大太鼓が続き、禰宜《ねぎ》の松下千里も烏帽子《えぼし》[#「烏帽子」は底本では「鳥帽子」]直垂《ひたたれ》の礼装で馬にまたがりながらその行列の中にあった。
馬籠での祭礼復興と聞いて、泊まりがけで近村から入り込んで来る農家の男女もすくなくない。一里二里の山路を通って来る娘たちなぞは、いずれも一年に一度の祭礼狂言を見ることを楽しみにしないものはない。あのいたいけな馬籠の子供たちがそろいの黒い半被《はっぴ》に、白くあらわした大きな定紋《じょうもん》を背中に着け、黄色な火の用心の巾着《きんちゃく》を腰にぶらさげながら町を練り歩くなぞは、近年にはないことだと言われた。旧《ふる》い街道の空には笛や三味線の音も起こり、伏見屋の前あたりでは木曾ぶしにつれて踊りの輪を描く若者の群れの「なかのりさん」もはじまるというにぎやかさだ。これで旧本陣のお師匠さまが引き起こしたような思いがけない出来事もなくて、一緒にこの祭りの日を楽しむことができたならと、それを言わないものもなかった。
どうして半蔵のような人が青山の家に縁故の深い万福寺を焼き捨てようと思い立ったろう。多くの村民にはどこにもその理由が見いだせなかった。なぜかなら、遠い昔に禅宗に帰依《きえ》した青山の先祖道斎が村民のために建立《こんりゅう》したのも万福寺であり、今日の住持|松雲和尚《しょううんおしょう》はまたこんな山村に過ぎたほどの人で、その
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