》たちの大御心《おおみこころ》にて、その御神徳の広大なる故《ゆえ》に、善《よ》き悪《あ》しきの選みなく、森羅万象《しんらばんしょう》のことごとく皇国《すめらみくに》に御引寄せあそばさるる趣を能《よ》く考へ弁《わきま》へて、外国《とつくに》より来る事物はよく選み採りて用ふべきことで、申すも畏《かしこ》きことなれども、是《これ》すなはち大神等《おおみかみたち》の御心掟《みこころおきて》と思い奉られるでござる、」とあるような、あんな広い見方のしてあるのに、彼が心から驚いたのも『静の岩屋』を開いた時だった。先師はあの遺著の中で、天保《てんぽう》年代の昔に、すでに今日あることを予言している。こんなに欧米諸国の事物がはいって来て、この国のものの長い眠りを許さないというのも、これも測りがたい神の心であるやも知れなかった。
 言葉もまた重要な交通の機関である。かく万国交際の世の中になって、一切の学術、工芸、政治、教育から軍隊の組織まで西洋に学ばねばならないものの多いこの過渡時代に、まず外国の言葉を習得して、自由に彼と我との事情を通じうるものは、その知識があるだけでも今日の役者として立てられる。今や維新と言い、日進月歩の時と言って、国学にとどまる平田門人ごときはあだかも旧習を脱せざるもののように見なさるるのもやむを得なかった。ただ半蔵としては、たといこの過渡時代がどれほど長く続くとも、これまで大和言葉《やまとことば》のために戦って来た国学諸先輩の骨折りがこのまま水泡《すいほう》に帰するとは彼には考えられもしなかった。いつか先の方には再び国学の役に立つ時が来ると信じないかぎり、彼なぞの立つ瀬はなかったのであった。
 先師の書いたものによく引き合いに出る本居宣長の言葉にもいわく、
「吾《われ》にしたがひて物学ばむともがらも、わが後に、又《また》よき考への出《い》で来《きた》らむには、かならずわが説にななづみそ。わがあしき故《ゆえ》を言ひて、よき考へを弘《ひろ》めよ。すべておのが人を教ふるは、道を明らかにせむとなれば、とにもかくにも道を明らかにせむぞ、吾を用ふるにはありける。道を思はで、いたづらに吾を尊《とうと》まんは、わが心にあらざるぞかし。」
 ここにいくらでも国学を新しくすることのできる後進の者の路《みち》がある。物学びするほどのともがらは、そう師の説にのみ拘泥《こうでい》するなと教
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