。
お富や子供らのこと考えるたびに、伊之助の腋《わき》の下には冷たいねばりけのある汗がわく。その汗は病と戦おうとする彼の精神《こころ》から出る。隣村山口から薬箱をさげて通《かよ》って来る医者|杏庵《きょうあん》老も多くを語らないから、病勢の進みについては彼は何も知らない。ただ、はっきりとした意識にすこしの変わりもなく、足ることを知り分に安んぜよとの教えを町人の信条とすることにも変わりなく、親しい半蔵と相見うるの日を心頼みにした。もはや日に日に日も長く、それだけまた夜は短い。どうして彼はその夏を越そうと考えて、枕《まくら》もとに置く扇なぞを見るにつけても、明けやすい六月の夜を惜しんだ。
三
十月下旬になって、半蔵は飛騨《ひだ》から帰国の旅を急いで来た。彼は四年あまりの一の宮(水無神社)を辞し、神社でつかっていた小使いの忰《せがれ》に当たる六三郎を供に連れ、位山《くらいやま》をもあとに見て飛騨と美濃《みの》の国境《くにざかい》を越して来た。供の男は二十三、四歳の屈強な若者で、飛騨風な背板《せいた》(背子《せいご》ともいう)を背中に負い、その上に行李《こうり》と大風呂敷《おおぶろしき》とを載せていたが、何しろ半蔵の荷物はほとんど書物ばかりで重かったから、けわしい山坂にかかるたびに力を足に入れ、腰を曲《かが》め気味に道を踏んでは彼について来た。木曾《きそ》あたりと同じように、加子母峠《かしもとうげ》は小鳥で名高い。おりから、鶫《つぐみ》のとれる季節で、半蔵は途中の加子母というところでたくさんに鶫を買い、六三郎と共にそれを旅の中食に焼いてもらって食ったが、余りの小鳥まで荷物になって、六三郎の足はよけいに重かった。
美濃と信濃《しなの》の国境に当たる十曲峠へかかるまでに、半蔵らは三晩泊まりもかかった。そこまで帰って来れば、松の並み木の続いた木曾街道を踏んで行くことができる。東美濃の盆地を流れる青い木曾川の川筋を遠く見渡すこともできる。光る木の葉、その葉の色づいて重なり合った影は、半蔵らが行く先にあった。路傍に古い黒ずんだ山石の押し出して来ているのを見つけると、供の六三郎は荷物を背負ったままそこへ腰掛け、額《ひたい》の汗をふいて、しばらく足を休めてはまた半蔵と一緒に歩いた。
「おゝ、半蔵さまが帰って来た。」
その久しぶりの平兵衛の声を半蔵は峠の新茶屋まで
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