ろへ暇乞《いとまご》いに来て、自分はもう古い青山の家に用のないような人間だから、お袋(おまん)の言葉に従ったッて、そう言ったよ。あの時は、お粂さんもまだ植松のお嫁さんに行かない前で、あれほど物を思い詰めるくらいの娘だから、こう顔を伏せて、目の縁《ふち》の紅《あか》く腫《は》れるほど泣きながら、飛騨行きのお父《とっ》さんを見送ったッけが、お粂さんにはその同情があったのだね。あれから半蔵さんが途中の中津川からおれのところへ手紙をよこした。自分はこの飛騨行きを天の命とも考えるなんて。ああいうところが半蔵さんらしい。二年、三年の後、自分はむなしく帰るかもしれない、あるいは骨となって帰るかもしれないが、ただただ天の命を果たしうればそれでいいなんて書いてよこしたことを覚えている。えらい意気込みさね。なんでも飛騨の方から出て来た人の話には、今度の水無神社の宮司さまのなさるものは、それは弘大な御説教で、この国の歴史のことや神さまのことを村の者に説いて聞かせるうちに、いつでもしまいには自分で泣いておしまいなさる。社殿の方で祝詞《のりと》なぞをあげる時にも、泣いておいでなさることがある。村の若い衆なぞはまた、そんな宮司さまの顔を見ると、子供のようにふき出したくなるそうだ。でも、あの半蔵さんのことを敬神の念につよい人だとは皆思うらしいね。そういう熱心で四年も神主《かんぬし》を勤めたと考えてごらんな、とてもからだが続くもんじゃない。もうお帰りなさるがいい、お帰りなさるがいい――そりゃ平田門人というものはこれまですでになすべきことはなしたのさ、この維新が来るまでにあの人たちが心配したり奔走したりしたことだけでもたくさんだ、だれがなんと言ってもあの骨折りが埋《うず》められるはずもないからナ。」
こんなうわさが尽きなかった。
山里も朴《ほお》、栃《とち》、すいかずらの花のころはすでに過ぎ去り、山百合《やまゆり》にはやや早く、今は藪陰《やぶかげ》などに顔を見せる※[#「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1−91−28]草《どくだみ》や谷いっぱいに香気をただよわす空木《うつぎ》などの季節になって来ている。木の実で熟するものには青梅、杏《あんず》などある中に、ことに伊之助に時を感じさせるのは、もはや畦塗《あぜぬ》りのできたと聞く田圃《たんぼ》道から幼い子供らの見つけて来る木いちごであった
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