ように書けば、それで手紙になると知った時のお寅の驚きと喜びとはなかったとか。早速《さっそく》お寅は左衛門町へあてて書いてよこした。今だにそれはお隅の家のものの一つ話になっているという。その手紙、
「はい、お隅さん、今晩は。暑いねえ。その後、亭主あるやら、ないじゃやら――ですとさ。」
 お隅はこんな話をも半蔵のところに置いて行った。
 騒がしく、楽しい町の空の物音は注連《しめ》を引きわたした竹のそよぎにまじって、二階の障子に伝わって来ていた。その中には、多吉夫婦の娘お三輪《みわ》が下女を相手にしての追羽子《おいばね》の音も起こる。お三輪は半蔵が郷里に残して置いて来たお粂を思い出させる年ごろで、以前の本所相生町の小娘時代に比べると、今は裏千家《うらせんけ》として名高い茶の師匠|松雨庵《しょううあん》の内弟子《うちでし》に住み込んでいるという変わり方だ。平素は左衛門町に姿を見せない娘が両親のもとへ帰って来ているだけでも、家の内の空気は違う。多吉夫婦は三人の子の親たちで、お三輪の兄量一郎は横浜貿易商の店へ、弟利助は日本橋辺の穀問屋《こくどんや》へ、共に年期奉公の身であるが、いずれこの二人《ふたり》の若者も喜び勇んで藪入《やぶいり》の日を送りに帰って来るだろうとのうわさで持ち切る騒ぎだ。
 町へ来るにぎやかな三河万歳《みかわまんざい》までが、めでたい正月の気分を置いて行く中で、半蔵は謹慎の意を表しながらひとり部屋にすわりつづけた。お三輪は結いたてのうつくしい島田で彼のところへも挨拶《あいさつ》に来て、紅白の紙に載せた野村の村雨《むらさめ》を置いて行った。


 七草過ぎになっても裁判所からは何の沙汰もない。毎日のように半蔵はそれを待ち暮らした。亭主多吉は風雅の嗜《たしな》みのある人だけに、所蔵の書画なぞを取り出して来ては、彼にも見よと言って置いて行ってくれる。腰張りのしてある黄ばんだ部屋の壁も半蔵には慰みの一つであった。
 ふと、半蔵は町を呼んで来る物売りの声を聞きつけた。新版物の唄《うた》を売りに、深山の小鳥のような鋭くさびた声を出して、左衛門町の通りを読み読み歩いて来る。びっくりするほどよくとおるその読売りの声は町の空気に響き渡る。半蔵は聞くともなしにそれを聞いて、新しいものと旧《ふる》いものとが入れまじるまッ最中を行ったようなその新作の唄の文句に心を誘われた。
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