不満は、朝鮮問題を待つまでもなく、早くも東北戦争以後の社会に胚胎《はいたい》していた。
そこへ外国交渉のたどたどしさと、当時の朝鮮方面よりする東洋の不安だ。いわゆる壮兵主義を抱く豪傑連の中には、あわただしい世態風俗の移り変わりを見て、追い追いの文明開化の風の吹き回しから人心うたた浮薄に流れて来たとの慨《なげ》きを抱き、はなはだしきは楠公《なんこう》を権助《ごんすけ》に比するほどの偶像破壊者があらわれるに至ったと考え、かかる天下柔弱|軽佻《けいちょう》の気風を一変して、国勢の衰えを回復し諸外国の覬覦《きゆ》を絶たねばならないとの意見を持つものがあるようになった。古今内外の歴史を見渡して、外は外国に侮られ、内は敵愾《てきがい》の気を失い、人心は惰弱に風俗は日々|頽廃《たいはい》しつつあるような危殆《きたい》きわまる国家は、これを救うに武の道をもってするのほか、決して他の術がないとは、それらの人たちが抱いて来た社会改革の意見であった。それには文武共に今日改造の途上にあることを一応考慮しないではないが、ひとまず文教をあと回しにする、この際は断然武政を布《し》いて国家の独立を全《まっと》うするためには外国と一戦するの覚悟を取る、それが国を興すの早道だというのである。そして事は早いがいい、今のうちにこの大計を定め国家の進路を改めるがいい、これを決行する時機は大使帰朝前にあるというのである。なぜかなら、大使帰朝の後はおのずから大使一行の意見があって、必ずこの反対に出《い》づるであろうと予測せられたからであった。その武政を立つる方案によると、全国の租税を三分して、その二分を陸海軍に費やす事、すでに士族の常職を解いた者は従前に引き戻《もど》す事、全国の士族を配してことごとく六管鎮台の直轄とする事、丁年以上四十五歳までの男子は残らず常備予備の両軍に編成する事、平民たりとも武事を好む者はその才芸器量に応じすべて士族となす事、全国男子の風教はいわゆる武士道をもって陶冶《とうや》する事、左右大臣中の一人《ひとり》は必ず大将をもってこれに任じ親しく陛下の命を受けて海陸の大権を収める事、これを約《つづ》めて言えば武政をもって全国を統一する事である。この意見を懐《ふところ》にして西郷に迫るものがあったが、隆盛は容易に動かなかった。彼は大使出発の際に大臣参議のおのおのが誓った言葉をそこへ持ち出して
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