た。なぜかなら、この万福寺を建立《こんりゅう》したそもそもの人は、そういう半蔵が祖先の青山|道斎《どうさい》だからである。また、かつて松雲がまだ僧|智現《ちげん》と言ったころから一方ならぬ世話になり、六年|行脚《あんぎゃ》の旅の途中で京都に煩《わずら》った時にも着物や路銀を送ってもらったことがあり、本堂の屋根の葺《ふ》き替えから大太鼓の寄付まで何くれとめんどうを見てくれたことのあるのも、伊之助の養父金兵衛だからである。
「いや、御趣意のほどはわかりました。よくわかりました。わたしは他の僧家とも違いまして、神道を基とするのが自分の本意ですから、すこしもこれに異存はありません。これと申すも皆、前世の悪報です。やむを得ないことです。まあ、お話はお話として、お茶を一つ差し上げたい。」
 そう言いながら、松雲は座を立った。ぐらぐら煮立った鉄瓶《てつびん》のふたを取って水をさすことも、煎茶茶碗《せんちゃぢゃわん》なぞをそこへ取り出すことも、寺で製した古茶を入れて慇懃《いんぎん》に客をもてなすことも、和尚はそれを細心な注意でやった。娑婆《しゃば》に生涯《しょうがい》を寄せる和尚はその方丈を幻の住居《すまい》ともしているので、必ずしもひとりをのみ楽しもうとばかりしている人ではない。でも、冷たく無関心になったこの世の人の心をどうかして揺り起こしたいと考えるような平田門人なぞの気分とはあまりにも掛け離れていた。
「どれ、位牌堂《いはいどう》の方へ御案内しましょう。おそかれ早かれ、こういう日の来ることはわたしも思っておりました。神葬祭のことは、あれは和宮《かずのみや》さまが御通行のころからの問題ですからな。」
 という和尚は珠数《じゅず》を手にしながら、先に立って、廊下づたいに本堂の裏手へと半蔵らを導いた。霊膳《れいぜん》、茶、香花《こうげ》、それに燭台《しょくだい》のそなえにも和尚の注意の行き届いた薄暗い部屋《へや》がそこにあった。
 青山家代々の位牌は皆そこに集まっている。恵那山《えなさん》のふもとに馬籠の村を開拓したり、万福寺を建立したりしたという青山の先祖は、その生涯にふさわしい万福寺殿昌屋常久禅定門《まんぷくじでんしょうおくじょうきゅうぜんじょうもん》の戒名で、位牌堂の中央に高く光っているのも目につく。黒くうるしを塗った大小の古い位牌には、丸に三つ引きの定紋を配したのがあり、あ
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