ら、しいて天理に戻るということもあるまい。自分らごときは他人の異見を待たずに、不羈《ふき》独立して大和魂《やまとだましい》を堅め、善悪邪正と是非得失とをおのが狭い胸中に弁別し、根本の衰えないのを護念して、なお枝葉の隆盛に懸念《けねん》する。もとより神仏を敬する法は、みな報恩と謝徳とをもってする。これを信心と言う。自分の身に利得を求めようとするのは、皆欲情である。報恩謝徳の厚志があらば、神明の加護もあろう。仏といえども、道理に違《たご》うことのあるべきはずがない。自分らには現世《げんせ》を安穏にする欲情もなければ、後生《ごせ》に善処する欲情もない。天賦の身は天に任せ、正を行ない邪に組せず、現世後生は敵なく、神理を常として真心を尽くすを楽しみとするのみだから、すこしも片手落ちなどの欲念邪意があることはない。これが松雲和尚の包み隠しのないところであった。
禅僧としての松雲は動かないように見えて、その実、こんなに静かに動いていた。この人にして見ると、時が移り世態が革《あらた》まるのは春夏秋冬のごとくであって、雲起こる時は日月も蔵《かく》れ、その収まる時は輝くように、聖賢たりとも世の乱れる時には隠れ、世の治まる時には道を行なうというふうに考えた。というのは、遠い昔にあの葦《あし》を折る江上の客となって遠く西より東方に渡って来た祖師の遺訓というものがあるからであった。大意(理想)は人おのおのにある、しかもむなしくこれ徒労の心でないものはないと教えてあるのだ。さてこそ、明治の御一新も、この人には必ずしも驚くべきことではなかった。たといその態度をあまりに高踏であるとし、他から歯がゆいように言われても、松雲としては日常刻々の修道に思いを潜め、遠く長い目で世界の変革に対するの一手があるのみであった。
半蔵と伊之助の二人《ふたり》が連れだって万福寺を訪《たず》ねた時は、ちょうど村の髪結い直次が和尚の頭を剃《そ》りに来ていて、間もなく剃り終わるであろうというところへ行き合わせた。髪長くして僧貌《そうぼう》醜しと日ごろ言っている松雲のことだから、剃髪《ていはつ》も怠らない。そこで半蔵らは勝手を知った寺の囲炉裏ばたに回って、直次が剃刀《かみそり》をしまうまで待った。
十二、三年も寺に暮らして和尚の身のまわりの世話をしていた人が亡《な》くなってからは、なんとなく広い囲炉裏ばたもさびしか
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