二十九日にはお前、井伊|掃部頭《かもんのかみ》の若殿様から彦根《ひこね》の御藩中まで、御同勢五百人が武士人足共に馬籠のお泊まりさ。伏見屋あたりじゃ十四人もお宿を引き受けるという騒ぎだ。お前も聞いて来たろうが、百姓一揆はその混雑《ごたごた》の中だぜ。」
「そう言われるとおれも面目ない。」
「お前だって峠村の組頭だ。もっと気をきかせそうなもんじゃないか。半蔵さまに勧めるぐらいにして、早く帰って来てくれそうなもんじゃないか。」
「そうがみがみ言いなさんな。なにしろ、お前、往復に日数は食うし、それにあの雨だ。伊勢路から京都まで、毎日毎日降って、降って、降りからかいて……」
「こっちも雨じゃ弱ったぞ。」
「おまけに、庄助さ、帰り道はまた雨降りあげくの暑い日ばかりと来てる。いくらも歩けすか。それにしても、なんという暑さだずら。」
こんな平兵衛の立ち話に、いくらか庄助も顔色をやわらげているところへ、半蔵が坂の下の方から追いついた。
「やあ、やあ。今そこで上の伏見屋の隠居につかまって、さんざんしかられて来た。あの金兵衛さんは氏神さまへお詣《まい》りに出かけるところさ。どこへもかしこへもお辞儀ばかりだ。庄助さん、いずれあとでゆっくり聞こう。」
その言葉を残して置いて、半蔵は家の方へ急いだ。
妻子はまず無事。
半蔵は旅じたくを解くのもそこそこに本陣の裏二階を見に行った。臥《ね》たり起きたりしてはいるが、それほど病勢が進んだでもない父吉左衛門と、相変わらず看護に余念のない継母のおまんとが、そこに半蔵を待っていた。
「お父《とっ》さん、京都の方を見て来た目で自分の家を見ると、こんな山家だったかと思うようですよ。」
とは半蔵が旅から日に焼けて親たちのそばへ帰って来た時の言葉だ。
彼もいそがしがっていた。つもる話をあと回しにしてその裏二階を降りた。とりあえず彼が見たいと思う人は伏見屋の伊之助であった。夕方から、彼は潜《くぐ》り戸《ど》をくぐって表門の外に出た。宿場でもここは夜鷹《よたか》がなく。もはや往来の旅人も見えない。静かだ。その静かさは隣宿落合あたりにもない山の中の静かさだ。旅から帰って来た彼が隣家の入り口まで行くと、古風な杉《すぎ》の葉の束の丸く大きく造ったのが薄暗い軒先につるしてあるのも目につく。清酒ありのしるしである。
隠居金兵衛のかわりに伊之助。その年の正月に隠居が見送ったお玉のかわりに伊之助の妻のお富《とみ》。伏見屋ではこの人たちが両養子で、夫婦とも隣の国の方から来て、養父金兵衛から譲られた家をやっている。夫婦の間に子供は二人《ふたり》生まれている。血縁はないまでも、本陣とは親類づきあいの間柄である。この隣家の主人が、新しい簾《すだれ》をかけた店座敷の格子先の近くに席を造って、半蔵をよろこび迎えてくれた。
「半蔵さん、旅はいかがでした。こちらはろくなお留守居もできませんでしたよ。」
そういう伊之助は男のさかりになればなるほど、ますますつつしみ深くなって行くような人である。物腰なぞは多分に美濃の人であるが、もうすっかり木曾じみていて、半蔵にとっては何かにつけての相談相手であった。
「いや、こんなにわたしも長くなるつもりじゃなかった。」と半蔵は言った。「伊勢路までにして引き返せばよかったんです。途中で、よっぽどそうは思ったけれど、京都の様子も気にかかるものですから、つい旅が長くなりました。」
「たぶん、半蔵さんのことだから、京都の方へお回りになるだろうッて、お富のやつともおうわさしていましたよ。」
「そう言ってくれるのは君ばかりだ。」
その時、半蔵がしるしばかりの旅の土産《みやげ》をそこへ取り出すと、伊之助はその京の扇子なぞを彼の前で開いて見て、これはよい物をくれたというふうに、男持ちとしてはわりかた骨細にできた京風の扇の形をながめ、胡麻竹《ごまだけ》の骨の上にあしらってある紙の色の薄紫と灰色の調和をも好ましそうにながめて、
「半蔵さんの留守に一番困ったことは――例の農兵呼び戻《もど》しの一件で、百姓の騒ぎ出したことです。どうしてそんなにやかましく言い出したかと言うに、村から出て行った七人のものの行く先がはっきりしない、そういうことがしきりにこの街道筋へ伝わって来たからです。」
「そんなはずはないが。」
「ところがです、東方《ひがしがた》へ付くのか、西方《にしがた》へ付くのか、だれも知らない、そんなことを言って、二百人の農兵もどうなるかわからない、そういうことを言い触らされるものですから、さあ村の百姓の中には迷い出したものがある。」
「でも、行く先は越後《えちご》方面で、尾州藩付属の歩役でしょう。尾州の勤王は知らないものはありますまい。」
「待ってくださいよ。そりゃ木曾福島の御家中衆が尾州藩と歩調を合わせるなら、論はありません。谷中の農兵は福島の武士に連れられて行きましたが、どうも行く先が案じられると言うんです。そんなところにも動揺が起こって来る、流言は飛ぶ――」
「や、わたしはまた、田圃《たんぼ》や畠《はたけ》が荒れて、その方で百姓が難渋するだろうとばかり思っていました。」
「無論、それもありましょう。しまいには毎日毎日、村中の百姓と宿役人仲間との寄り合いです。あの庄助さんなぞも中にはさまって弱ってました。先月の二十六日――あれは麦の片づく時分でしたが、とうとう福島のお役所からお役人に出張してもらいまして、その時も大評定《だいひょうじょう》。どうしても農兵は戻してもらいたい、そのことはお役人も承知して帰りました。それからわずか三日目があの百姓|一揆《いっき》の騒ぎです。」
「どうも、えらいことをやってくれましたよ。わたしも落合の稲葉屋《いなばや》へ寄って、あそこで大体の様子を聞いて来ました。伊之助さんも中津川までかけつけてくれたそうですね。」
「えゝ。それがまた、大まごつき。こちらは彦根様お泊まりの日でしょう。武士から人足まで御同勢五百人からのしたくで、宿内は上を下への混雑と来てましょう。新政府の官札は不渡りでないまでも半額にしか通用しないし、今までどおりの雇い銭の極《き》めじゃ人足は出て来ないし……でも、捨て置くべき場合じゃないと思いましたから、宿内のことは九郎兵衛(問屋)さんなぞによく頼んで置いて、早速《さっそく》福島のお役所へ飛脚を走らせる、それから半分夢中で落合までかけて行きました。その翌日の晩は、中津川に集まった年寄役仲間で寄り合いをつけて、騒動のしずまったところを見届けて置いて、家へ帰って来た時分にはもう夜が明けました。」
思わず半蔵は旅の疲れも忘れて、その店座敷に時を送った。格子先の簾《すだれ》をつたうかすかな風も次第に冷え冷えとして来る。
「どうも、なんとも申し訳がない。」と言って、半蔵は留守中の礼を述べながらたち上がった。「こんな一揆の起こるまで、あの庄助さんも気がつかずにいたものでしょうか。」
「そりゃ、半蔵さん、笹屋《ささや》だって知りますまい。あれで笹屋は自分で作る方の農ですから。」
「わたしは兼吉や桑作でも呼んで聞いて見ます。わたしの家には先祖の代から出入りする百姓が十三人もある。吾家《うち》へ嫁に来た人について美濃から移住したような、そんな関係のものもある。正月と言えば餅《もち》をつきに来たり、松を立てたりするのも、あの仲間です。一つあの仲間を呼んで、様子を聞いて見ます。」
「まあ、京都の方の話もいろいろ伺いたいけれど。夜も短かし。」
五
「お霜婆《しもばあ》」
「あい。」
「お前のとこの兼さに本陣の旦那《だんな》が用があるげなで。」
「あい。」
「そう言ってお前も言伝《ことづ》けておくれや。ついでに、桑さにも一緒に来るようにッて。頼むぞい。」
「あい。あい。」
馬籠本陣の勝手口ではこんな言葉がかわされた。耳の遠いお霜婆さんは、下女から言われたことを引き受けて、もう何十年となく出入りする勝手口のところを出て行った。
越後路の方へ行った七人の農兵も宰領付き添いで帰って来た朝だ。六十日の歩役を勤めた後、今度御用済みということで、残らず帰村を許された若者らは半蔵のところへも挨拶《あいさつ》に来た。ちょうどそこへ、兼吉、桑作の二人《ふたり》も顔を見せたので、入り口の土間は一時ごたごたした。
半蔵も西から帰ったばかりだ。しかし彼は旅の疲れを休めているいとまもなかった。日ごろ出入りの二人の百姓を呼んで村方の様子を聞くまでは安心しなかった。
「兼吉も、桑作も、囲炉裏ばたの方へ上がってくれ。」
と半蔵がいつもと同じ調子で言った。
そこは火の気のない囲炉裏ばただ。平素なら兼吉、桑作共に土足で来て踏ン込《ご》むところであるが、その朝は手ぐいで足をはたいて、二人とも半蔵の前にかしこまった。もとより旧《ふる》い主従のような関係の間柄である。半蔵も物をきいて見るのに遠慮はいらない。留守中の村に不幸なものを出したのは彼の不行き届きからであって、その点は深く恥じ深く悲しむということから始めて、せめておおよその人数だけでも知って置きたい、言えるものなら言って見てもらいたい、そのことを彼は二人の前に切り出した。
「旦那、それはおれの口から言えん。」と兼吉が百姓らしい大きな手を額《ひたい》に当てた。「桑さも、おれも、この事件には同類じゃないが、もう火の消えたあとのようなものだで、これについては一切口外しないようにッて、村中の百姓一同でその申し合わせをしましたわい。」
「いや、そういうことなら、それでいい。おれも村からけが人は出したくない。」と半蔵が言った。「おれが心配するのは、これから先のことだ。こういう新しい時世に向かって来たら、お前たちだってうれしかろうに。あのお武家さまがこの街道へ来てむやみといばった時分のことを考えてごらん、百姓は末の考えもないものだなんて言われてさ、まるで腮《あご》で使う器械のように思われたことも考えてごらんな。お前たちは、刀に手をかけたお武家さまから、毎日追い回されてばかりいたじゃないか。御一新ということになって来た。ようやくこんなところへこぎつけた。それを考えたら、お前たちだってもうれしかろう。」
「そりゃ、うれしいどころじゃない。」
「そうか。お前たちもよろこんでいてくれるのか。」
その時、半蔵には兼吉の答えることが自分の気持ちを迎えるように聞こえて、その「うれしいどころじゃない」もすこし物足りなかった。兼吉のそばに膝《ひざ》をかき合わせている桑作はまた、言葉もすくない。しかしこの二人は彼の家へ出入りする十三人の中でも指折りの百姓であった。そこで彼はこんな場合に話して置くつもりで、さらに言葉をつづけた。
「そんなら言うが、今は地方《じかた》のものが騒ぎ立てるような、そんな時世じゃないぞ、百姓も、町人も、ほんとに一致してかからなかったら、世の中はどうなろう。もっと皆が京都の政府を信じてくれたら、こんな一揆も起こるまいとおれは思うんだ。お前たちからも仲間のものによく話してくれ。」
「そのことはおれたちもよく話すわいなし。」と桑作が答える。
「だれだって、お前、饑《う》え死《じ》にはしたくない。」とまた半蔵が言い出した。「そんなら、そのように、いくらも訴える道はある。今度の政府はそれを聞こうと言ってるんじゃないか。尾州藩でも決して黙ってみちゃいない。ごらんな、馬籠の村のものが一同で嘆願して、去年なぞも上納の御年貢《おねんぐ》を半分にしてもらった。あんな凶年もめったにあるまいが、藩でも心配してくれて、御年貢をまけた上に、米で六十石を三回に分けてさげてよこした。あの時だって、お前、一度分の金が十七両に、米が十俵――それだけは村中の困ってるものに行き渡ったじゃないか。」
「それがです。」と兼吉は半蔵の言葉をさえぎった。「笹屋《ささや》の庄助さのように自分で作ってる農なら、まだいい。どんな時でもゆとりがあるで。水呑百姓《みずのみびゃくしょう》なんつものは、お前さま、そんなゆとりがあらすか。そりゃ、これからの世の中は商人《あきんど》はよからず。ほんとに百姓は
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