は言い添えた。
 妙国寺に土州兵らの処刑があったという日の夕方には、執事がまた通禧のところへ来て言った。
「今日は土佐家から、客分の家老職に当たります深尾康臣《ふかおやすおみ》も検使として立ち会ったと申してまいりました。鬮引《くじび》きで、切腹に当たる者を呼び出したということですが、なかなか立派であったそうで――辞世なぞも詠《よ》みましたそうで。ところが、切腹を実行して十一人目になりますと、そこに出張していたフランスの士官から助命の申し出がありました。あまり気の毒だから、切腹はもうおやめなさいと申したそうでございます。いや、はや、慷慨家《こうがいか》の寄り集まりで、仏人からそう申しても、ぜひ切ると言った調子で、聞き入れません。これには五代氏も止めるがいいと言い出しまして、切腹、罷《まか》りならぬ、そう厳命で止めさせたと承りました。」
 この「切腹、罷りならぬ」には通禧も笑っていいか、どうしていいか、わからなかった。
 もはや、旧暦二月末の暖かい雨もやって来るようになった。それからの旭茶屋事件には、仏人からの命|乞《ご》いがあり、九人の土州兵を流罪《るざい》ということにして肥後と芸州とに
前へ 次へ
全419ページ中82ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング