ましたのは、前年二月十七日のことであった。総蔵は各村の庄屋が新しい戸長と呼ばれるのを見、そろそろ児童の就学ということが地方有志者の間に考えられるころに、それらの新しい教育事業までは手を着けないで木曾の人民に別れを告げて行った。
すべてが試みでないものはないような時だ。太陽暦の採用以来、時の分《わか》ちも今は明けの何時《なんどき》、暮れの何時とは言わない。その年から昼夜二十四時に改められた。月日の繰り方もこれまでの暦にくらべると一か月ほど早い。これは前年十二月上旬をもって太陰暦の終わりとし、新暦による正月元日が前年の冬のうちに来たからであった。
人心の一新はこんな暦からも。しかし、これまで小草山の口開《くちあ》けから種まきの用意まで一切はこの国固有の暦を心あてにして来た農家なぞにとっては、朔日《ついたち》だ十五日だということも月の満ち欠けに関係のないものはない。どうしても旧暦で年を取り直さなけれは新しい年を迎えた気もしないという村民のところへは、正月が一年に二度来る始末だ。多くの人々は新旧二通りの暦を煤《すす》けた壁に貼《は》りつけて置いて、新暦の四月一日が旧の三月幾日に当たると知ら
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