ろは、やがて新旧の激しい争いがさまざまな形をとって、洪水《こうずい》のようにこの国にあふれて来たころであった。江戸方面には薩摩方《さつまがた》に呼応する相良惣三《さがらそうぞう》一派の浪士隊が入り込んで、放火に、掠奪《りゃくだつ》に、あらゆる手段を用いて市街の攪乱《こうらん》を企てたとのうわさも伝わり、その挑戦的《ちょうせんてき》な態度が徳川方を激昂《げきこう》させて東西雄藩の正面衝突が京都よりほど遠からぬ淀川《よどがわ》付近の地点に起こったとのうわさも伝わった。四日にわたる激戦の結果は会津《あいづ》方の敗退に終わったともいう。このことは早くも兵庫神戸に在留する外人の知るところとなった。ある外国船は急を告げるために兵庫から横浜へ向かい、ある外国船は函館《はこだて》へも長崎へも向かった。
海から見た陸はこんな時だ。伏見《ふしみ》、鳥羽《とば》の戦いはすでに戦われた。うわさは実にとりどりであった。あるものは日本の御門《みかど》と大君との間に戦争が起こったのであるとし、あるものは江戸の旧政府に対する京都新政府の戦争であるとし、あるものはまた、南軍と北軍とに分かれた強大な諸侯らの戦争であると
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