民の上に働きかけた。ハリスは米国提督のペリイとも違い、力に訴えてもこの国を開かせようとした人ではなかった。相応に日本を知り、日本の国情というものをも認め、異国人ながらに信頼すべき人物と思われたのもハリスであった。国を開くか開かないかの早いころに来てこのハリスの教えて置いたことは、先入主となって日本人の胸の底に潜むようになったのである。あだかも、心の柔らかく感じやすい年ごろに受け入れた感化の人の一生に深い影響を及ぼすように。
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第二章
一
商船十数|艘《そう》、軍艦数隻、それらの外国船舶が兵庫《ひょうご》の港の方に集まって来たころである。横浜からも、長崎からも、函館《はこだて》からも、または上海《シャンハイ》方面からも。数隻の外国軍艦のうちには、英艦がその半ばを占め、仏艦がそれに次ぎ、米艦は割合にすくなかった。港にある船はもとより何百艘で、一本マスト、二本マストの帆前船、または五大力《ごだいりき》の大船から、達磨船《だるまぶね》、土船《つちぶね》、猪牙船《ちょきぶね》なぞの小さなものに至るまで、あるいは動き、あるいは碇泊《ていはく》していた。その
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