ル人、イスパニヤ人御追放なされ候ころは、ただいまとは外国の風習大いに異なり申し候。そのころは宗門の事を皆願いおり申し候。アメリカにては宗門などは皆、人々の望みに任せ、それこれを禁じまたは勧め候ようのことさらにこれなく候。何を信仰いたし候とも人々の心次第に御座候。当時ヨーロッパにては信仰の基本を見出し申し候。右は銘々の心より信じ候ゆえ、その心に任せ候よりほかにいたし方これなくと決着つかまつり候。宗門種々これあり候えども、畢竟《ひっきょう》人を善《よ》くいたし候趣意にほかならず。アメリカには仏の堂も耶蘇《ヤソ》の堂も一様に並びおり、一目に見渡し候よういたしあり、宗門につき一人も邪心を抱《いだ》き候ものこれなく、銘々安らかに今日を送り申し候。ホルトガル人、イスパニヤ人など日本へ参り候は自己の儀にて、政府の申し付けにはこれなく候。そのころは罷《まか》り越し候もの売買をいたし、宗門をひろめ、その上、干戈《かんか》をもって日本を横領する内々の所存にて参りし儀と存じ候。右参り候ものは廉直《れんちょく》のものにこれなく、反逆いたす見込みのものゆえ、その人物も推し量られ申し候。幸いに当時は右様のものこれ
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