「そうよなし。」
「お前は何をしていたい。」
 石屋の坂を登りきったところで、平兵衛は上町の方から降りて来る笹屋《ささや》の庄助《しょうすけ》にあった。庄助は正直一徹な馬籠村の組頭《くみがしら》だ。
 坂になった宿内を貫く街道は道幅とてもそう広くない。旅人はみなそこを行き過ぎる。一里も二里もある山林の方から杉の皮を背負《しょ》って村へ帰って来る男もある。庄助は往来《ゆきき》の人の邪魔にならない街道の片すみへ平兵衛を呼んだ。その時は、一緒にそこまで帰って来た半蔵の方が平兵衛よりすこしおくれた。
「平兵衛さ、おれはもうお留守居は懲り懲りしたよ。」庄助が言い出す。「かんじんの半蔵さまがいないところへ持って来て、お前まで、のんきな旅だ。」
 その時、平兵衛は笠《かさ》の紐《ひも》をといて、相手の顔をながめた。同じ組頭仲間でも、相手は馬籠の百姓総代という格で、伏見屋その他の年寄役と共に会所に詰め、宿内一切の相談にあずかっている。平兵衛も日ごろから、この庄助には一目置いている。
「いや、はや、」とまた庄助が言った。「先月の二十六日には農兵呼び戻しの件で、福島のお役所からはお役人が御出張になる。
前へ 次へ
全419ページ中270ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング