出したいと言って、ペリイに逼《せま》ったというだけでも、いかに空前の企てであったかがわかる。ペリイはこの国へ来て堅い鎖国の扉《とびら》をたたく前にすでに琉球近海や日本海岸のおおよその知識をもっていた。さてこそ、この国の厳禁を無視しまっしぐらに江戸湾を望んで直進して来たわけだ。ペリイが日本の本土に到着する前、琉球島を訪《たず》ねてその王と幕僚とに会見し、さらに小笠原《おがさわら》群島を訪ねて、牛、羊、種子、その他の日用品、およびアメリカの国旗をそこに定住する白人の移民のもとに残して置いたというのを見ても、彼の抱負の小さくなかったことがわかる。彼が浦賀《うらが》の久里《くり》が浜《はま》に到着したころは、ちょうどヨーロッパ勢力の東方に進出する十九世紀のなかばに当たる。早く棉花《めんか》をシナの市場に売り込んで東洋貿易の重んずべきことを知ったアメリカは、イギリスのあとを追ってシナとの通商条約を結び、さらにその方針を一層拡張して、日本にも朝鮮半島にも及ぼそうとしていたころである。ペリイはこの使命を果たすために堅き決心をかため、弘化《こうか》年度に江戸湾に来て開港の要求を拒絶されたビッドル提督の
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