はその江戸城の大奥に導かれて、皇帝の居住する宮殿の中に身を置き得たと信じ、彼らのそばに来て一々その姓名、年齢、その他のことを尋ねた数人の頭を円《まる》めた坊主を皇帝の侍医または接待役と信じ、彼らを歓迎する旨《むね》を述べてくれた老中牧野備後こそかつては皇帝の師傅《しふ》であり現に最も皇帝の信任を受けつつある人と信じたという。
三
百六十年ほど後に黒船の載せて来たアメリカ使節ペリイはこのオランダ人の態度を捨てた。これまで許されなかった通商の自由を求めるためには、いかなる役割をも忍ぼうとする道化役者ではもとよりなかった。彼はオランダ人のような仮面を脱いで、全く対等の位置に立ち、一国を代表する使節としての重い使命を果たしに来た。
しかし先着のオランダ人が極東に探り求めたものは、あとから来る人たちのためにすくなからぬ手引きとなったことを忘れてはならない。寛永《かんえい》十年以来、日本国の一切の船は海の外に出ることを禁じられ、五百石以上の大船を造ることも禁じられてからこのかた、この国のものが海外の事情に暗かったように、異国のものもまた極東の事情に暗いものばかりだと思ったら、
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