尽くす志あるの輩《ともがら》は寛大の思し召しをもって御採用あらせらるべく、もしまた、この時節になっても大義をわきまえずに、賊徒と謀《はかりごと》を通ずるような者は、朝敵同様の厳刑に処せられるであろう。この布告が東山道総督執事の名で発表せらるると同時に、それを読んだ藩士らは皆、到底現状の維持せられるべくもないことを知った。さすがに、ありし日の武家時代を忘れかねるものは多い。あるいは因循姑息《いんじゅんこそく》のそしりをまぬかれないまでも、君侯のために一時の安さをぬすもうと謀《はか》るものがあり、あるいは両端を抱《いだ》こうとするものがある。勤王か、佐幕か――今や東山道方面の諸藩は進んでその態度を明らかにすべき時に迫られて来ていた。
慶喜と言えば、彼が過ぐる冬十月の十二日に大小|目付《めつけ》以下の諸有司を京都二条城の奥にあつめ、大政奉還の最後の決意を群臣に告げた時、あるいは政権返上の後は諸侯割拠の恐れがあろうとの説を出すものもあるが、今日すでに割拠の実があるではないかと言って、退位後の諸藩の末を案じながら将軍職を辞して行ったのもあの慶喜だ。いかにせば幕府の旧勢力を根からくつがえし、慶喜
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