ったという。
試みに、十八片からの帆の数を持つ貿易船を想像して見るがいい。その船の長さ二十七、八|間《けん》、その幅八、九間、その探さ六、七間、それに海賊その他に備えるための鉄砲二十|挺《ちょう》ほどと想像して見るがいい。これが弘化《こうか》年度あたりに渡来した南蛮船だ。応挙は、紅白の旗を翻した出島《でじま》の蘭館《らんかん》を前景に、港の空にあらわれた入道雲を遠景にして、それらのオランダ船を描いている。それには、ちょうど入港する異国船が舳先《へさき》に二本の綱をつけ、十|艘《そう》ばかりの和船にそれをひかせているばかりでなく、本船、曳《ひ》き船、共にいっぱいに帆を張った光景が、画家の筆によってとらえられている。嘉永《かえい》年代以後に渡来した黒船は、もはやこんな旧式なものではなかった。当時のそれには汽船としてもいわゆる外輪型なるものがあり、航海中は風をたよりに運転せねばならないものが多く、新旧の時代はまだそれほど入れまじっていたが、でも港の出入りに曳き船を用うるような黒船はもはやその跡を絶った。
極東への道をあけるために進んで来たこの黒船の力は、すでに長崎、横浜、函館《はこだて》
前へ
次へ
全419ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング