しりご》みして、通禧を推した。通禧だけが西洋人の顔を見ているというわけで。彼なら西洋人の意気込みも知っているだろうからというわけで。この通禧は過ぐる慶応三年の冬、筑前《ちくぜん》の方にいて、一つ開港場の様子を見て置いたらよかろうと人にも勧められ、自分からも思い立ったことがある。同時に、三条公にも長崎行きを勧めるものがあったが、同公は一方の大将であり、それに密行も気がかりであるからと言って、同行はされなかった。通禧だけが行った。大山格之助の周旋で、薩州人になって長崎へ行った。さらに五代《ごだい》才助の周旋で、三週間ばかりも長崎にいて、変名でオランダやイギリスの商人にもあい、米人フルベッキなどにも交わった。その時、外国の軍艦も見、西洋の話も聞いたことがある。
 人も知るごとく、通禧は文久三年の過去に、攘夷御親征大和行幸《じょういごしんせいやまとぎょうこう》の事件で長州へ脱走した七卿の一人である。攘夷主唱の張本人とも言うべき人たちの中での錚々《そうそう》である。不思議な運命は、この閲歴を持った人を外国人歓迎の主人役の位置に立たせた。ヨーロッパは日本を去ることも遠く、蘭書以外の洋書のこの国の書庫中に載せらるるものとても少ない。通禧はじめ国際に関する知識もまだ浅かった。しかし、徳川慶喜ですら先年各国公使をこの大坂に集めて将軍自ら会見する先例を開いている。新政府を護《も》り立てようとするものは、この際、何を忍んでも、外国事務局の設置を各国公使に認めさせ、いつまで排外を固執するものでないことを明らかにせねばならない。当時漢訳から来た言葉ではあるが、新熟語として士人の間に流行して来た標語に「万国公法」というがある。旧を捨て新に就《つ》こうとする人たちはそれを何よりの水先案内として、その万国公法の意気で異国人を迎えようとしていた。
 そのうちに、公使らの安治川《あじがわ》着を知らせる使者が走って来た。軍旗をたてた薩州兵の一隊を先頭に、護衛の外国兵はいずれも剣付き鉄砲を肩にして、すでに外人居留地を出発したとの注進がある。駕籠《かご》に乗った異人の行列を見ようとする男や女の出たことも驚くばかり、大坂運上所の前あたりから、居留地、新大橋の辺へかけては人の黒山を築いているとの注進もある。


 各国公使の一行は無事に西本願寺に着いた。公使らは各一名ずつの書記官を伴って来たから、一行十二人の外交団だ。しばらく休息の時を与えるため、接待役の僧が一室に案内し、黒い裙子《くんし》を着けた子坊主《こぼうず》は高坏《たかつき》で茶菓なぞを運んで行って一行をもてなした。
 寺の大広間は内外の使臣が会見室として、すでにその準備がととのえてある。やがて外人側は導かれて畳の上に並べた椅子《いす》に着いた。列藩の家老たちも来てそれぞれ着席する。まず東久世通禧の発話で各公使への挨拶《あいさつ》があった。それは日本の政体の復古した事、帝《みかど》自ら政権を執りたもう事、外国の交際も一切朝廷で引き受ける事は過日兵庫において布告したとおり相違のない旨《むね》を告げ、今回外国事務局を建てて交易通商一切の諸事件をことごとく取り扱うから、今日改めて朝廷守護の列藩と共に、各国公使に会同してこの盟約を定める旨を告げた。これには公使らも異議がない。帝はじめ列藩の諸侯が日本人民のために広く信睦《しんぼく》を求め、互いに誠実をもって交わろうということは、各国においてもかねがね渇望したところである、今後は帝の朝廷を日本の主府と仰いで、万事その政令を奉ずるであろう。公使らはその意味のことを答えた。
 通禧はまた、言葉を改めて言った。このたび万国と条約を改めた上は、帝自ら各国公使に対面して、盟《ちか》いを立てようとの思《おぼ》し召しである。不日《ふじつ》上京あるべき旨、各国公使に申し入れるよう、帝の命を奉じたのであると。公使らは恐れ入ったと言って、いずれ談合の上、明後日その御返事を申し上げると挨拶した。その時の英国公使の言葉に、徳川慶喜討伐の師がすでに京都を出発した上は、関東の形勢も安心なりがたい。もし早く帝に拝謁《はいえつ》することがかなわないならすみやかに浪華《なにわ》の地を退きたい、そして横浜にある居留民の保護に当たりたい一同の希望であると。これを聞くと、米国公使はそばにいる伊国公使や普国公使を顧みて、自分ら三人は明十五日までに大坂を出発して横浜へ回航したい、と述べた。
 ファルケンボルグはしきりに手をもんだ。横浜居留地の方のことも心にかかるから、としきりに弁解した。通禧はその様子をみて取って言った。
「では、こうなすったら、いかがでしょう。明日中には謁見の日取りを京都からも申してまいりましょう。それまで御滞坂になって、その上で進退せられたら。諸君も京都へ行って一度は天顔を拝するがいい。」


 
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