、神祗官《じんぎかん》の中心勢力をかたちづくる平田派の学者を率いて、直接に新政府の要路に当たっているとか。今は師も文教の上にあるいは神社行政の上に、この御一新の時代を導く年老いた水先案内である。全国の代表を集めて大いに国是《こくぜ》を定め新制度新組織の建設に向かおうとするための公議所が近く東京の方に開かれるはずで、その会議も師のような人の体験と精力とを待っていた。
延胤は関東への行幸のことについてもいろいろと京都方の深い消息を伝えた。かくも諸国の人民が新帝を愛し奉り、競ってその御一行を迎えるというは理由のないことでもない。従来、主上と申し奉るは深い玉簾《ぎょくれん》の内にこもらせられ、人間にかわらせたもうようにわずかに限りある公卿《くげ》たちのほかには拝し奉ることもできないありさまであった。それでは民の御父たる天賦の御職掌にも戻《もと》るであろう。これまでのように、主上の在《いま》すところは雲上と言い、公卿たちは雲上人ととなえて、龍顔は拝しがたいもの、玉体は寸地も踏みたまわないものと、あまりに高く言いなされて来たところから、ついに上下隔絶して数百年来の弊習を形造るようになった。今や更始一新、王政復古の日に当たり、眼前の急務は何よりまずこの弊習を打ち破るにある。よろしく本朝の聖時に則《のっ》とらせ、外国の美政をも圧するの大英断をもって、帝自ら玉簾の内より進みいでられ、国々を巡《めぐ》らせたまい、簡易軽便を本として万民を撫育《ぶいく》せられるようにと申上げたものがある。さてこそ、この未曾有《みぞう》の行幸ともなったのである。
そればかりではない。もっと大きな事が、この行幸のあとに待っていた。皇居を京都から東京に還《うつ》し、そこに新しい都を打ち建てよとの声が、それだ。もし朝廷において一時の利得を計り、永久治安の策をなさない時には、すなわち北条《ほうじょう》の後に足利《あしかが》を生じ、前姦《ぜんかん》去って後奸《こうかん》来たるの覆轍《ふくてつ》を踏むことも避けがたいであろう。今や、内には崩《くず》れ行く中世的の封建制度があり、外には東漸するヨーロッパの勢力がある。かくのごとき社会の大変態は、開闢《かいびゃく》以来、いまだかつてないことであろうとは、もはや、だれもがそれを疑うものもない。この際、深くこの国を注目し、世界の大勢をも洞察《どうさつ》し、国内のものが同心合体して、太陽はこれからかがやこうとの新しい希望を万民に抱《いだ》かせるほどの御実行をあげさせられるようにしたい。それには、非常な決心を要する。眼前にある些少《さしょう》の故障を懸念《けねん》して、この遷都の機会をうしなったら、この国の大事もついに去るであろう――実際、こんなふうに言わるるほどの高い潮《うしお》がやって来ていた。
一緒に街道を踏んで峠を降りて行く延胤に言わせると、遷都の説はすでに一、二の国学者先輩の書きのこしたものにも見える。それがここまで来て、言わば東幸の形で遷都の実をあげる機運を迎えたのだ。これには伊之助も耳を傾けていた。
一同の行く先は言うまでもなく中津川の本陣である。ちょうど半蔵の友人景蔵も、香蔵も、共に京都の方から帰って来ているころで、景蔵の家には、めずらしく親しい人たちの顔がそろった。そこには落合から行った半蔵の弟子《でし》勝重《かつしげ》のような若い顔さえ見いだされた。そしてその東美濃の町に延胤を迎えようとする打ちくつろいだ酒盛《さかも》りがあった。その晩は伊之助もめずらしく酔って、半蔵と共に馬籠をさして帰って来たころは夜も深かった。
三か月ほど後に、中津川の香蔵が美濃を出発し、東京へとこころざして十曲峠《じっきょくとうげ》を登って来たころは、旅するものの足が多く東へ東へと向かっていた。今は主上も東京の方で、そこに皇居を定めたまい、平田家の人々も京都にあった住居《すまい》を畳《たた》んで、すでに新しい都へ移った。
旅を急ぐ香蔵に門口から声をかけられて見ると、半蔵の方でもそう友人を引き留めるわけに行かない。香蔵は草鞋《わらじ》ばきのまま、本陣の玄関の前から表庭の植木の間を回って、葉ばかりになった牡丹《ぼたん》の見える店座敷の軒先に来て腰掛けた。そこに笠《かさ》を置いて、半蔵が勧める別れの茶を飲んだ。
文字どおり席の暖まるに暇《いとま》のないような香蔵は、師のあとを追うのに急で、地方の問屋廃止なぞを問題としていない。半蔵はひどく別れを惜しんだ。野尻《のじり》泊まりで友人が立って行った後、彼は大急ぎで自分でもしたくして、木曾福島の旅籠屋《はたごや》までそのあとを追いかけた。
とうとう、藪原《やぶはら》の先まで追って行った。五日過ぎには彼は友人の後ろ姿を見送って置いて、藪原からひとり街道を帰って来る人であった。旧暦五月の日の光
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