がしくぜみちとみ》の名代もその艀《はしけ》まで見送りに来た。


 小蒸汽船が動き出してからも、不慮の出来事を警戒するような監視者の目は一刻も毛色の変わった人たちから離れない。いたるところに青みがかった岸の柳も旅するものの目をよろこばすころで、一大三角州をなした淀川の川口にはもはや春がめぐって来ていた。でも、うっかりロセスなぞは肩に掛けていた双眼鏡を取り出せなかったくらいだ。
「こんなにしてくれなくてもいい。どうして外国人はこんな監視を受けなければならないのか。」
 オランダの代理公使はひどくうるさがって、それを通訳の書記官に言わせると、付き添いの日本の官吏は首を振った。
「諸君を保護するのであります。」
 との答えだ。
 旅の掟《おきて》もやかましい。一行が京都へ着いた際の心得まで個条書になって細かく規定されている。その規定によると、滞在中は洛《らく》の中外を随意に徘徊《はいかい》することは許される、諸商い物を買い求めたり小屋物等を見物したりすることも許される、しかし茶屋酒楼等へひそかに越すことは許されない。夜分の外出は差し留められる事、宮方《みやかた》へ行き合う節は路傍に控えおるべき事、堂上あるいは諸侯へ行き合う節は双方道の半ばを譲って通行すべき事の類《たぐい》だ。それには但《ただ》し書《が》きまで付いていて、宮方へ行き合う節は御供頭《おともがしら》へその旨《むね》を通じ、公使から相当の礼式があれば御会釈《ごえしゃく》もあるはずだというようなことまで規定されている。
 この個条書を正確に読みうるものは、一行のうちでカションのほかにない。カションはそれを公使ロセスにもオランダ代理公使ブロックにも訳して聞かせた。その船の船室には赤い毛氈《もうせん》を敷き、粗末な椅子《いす》を並べて、茶なぞのもてなしもあったが、カションはひとりながめを自由にするために、大坂を離れるころから船室を出て、舷《ふなばた》に近い廊下の方へ行った。そこここには護衛顔なフランス兵も陣取っている。カションはその狭い廊下の一隅《いちぐう》にいて煙草《たばこ》を取り出そうとすると、近づいて来て彼に挨拶《あいさつ》し、いろいろと異国のことを質問する日本の官吏もあった。
 そういうカションはフランス人ながらに、俗にいう袂落《たもとおと》しの煙草入れを洋服の内側のかくしに潜ませているほどの日本通だった。そば
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