との間ははなはだ狭くてほんのわずかの間隔に過ぎなかったが、護衛の侍を初め多くの諸役人が群れ集まって来ていた。それから一行は進んで二つの階段をのぼり、まずはいったのは広い一間で、それから右側の一室にはいった。そこは将軍に向かっても、また老中に向かってもすべて対面を求めるものの許可を得るまで待ち合わす所である。そこはなかなか大きな室《へや》であるが、周囲の襖《ふすま》をしめきるとすこぶる薄暗い。わずかに隣室の上部の欄間《らんま》から光線がもれ入るに過ぎない。しかし国風《くにぶり》によって施された装飾の美は目もさめるばかりで、壁と言わず、襖と言わず、構造は実に念の入ったものであったという。待つこと一時間以上、その間に将軍は謁見室に出御《しゅつぎょ》がある。一行のうちの使節のみが導かれて御前に出る時、一同大声で、
「オランダ、カピタン。」
 と呼んだ。これは将軍に近づいて使節に礼をさせるための合図である。将軍が国内の他の最も強大な諸侯に対する場合でも、その態度はすこぶる尊大である。すべて諸侯の謁見に際しても、その名が一度呼び上げられると、諸侯は無言ですわったまま手と膝《ひざ》とで将軍の前ににじりより、前額を床にすりつけて拝礼した上で、また同一の態度で後ろへ這《は》いさがるのである。そこでオランダの使節も同じように、将軍へ献上する進物を前に置き、将軍に対して坐《ざ》し、額《ひたい》を床につけ、一言を発することもなく、あたかも蟹《かに》のようにそのまま後ろへ引きさがった。
 オランダ人がこの強大な君主に対する謁見はこんな卑下したものであった。これほど身を屈して、礼儀を失うまいとしたのは言うまでもなく、この国との通商を求めるためであったからで。随行のケンペルも許されて室を参観することができた時に、彼はすばやく床に敷かれている畳の数を百と数え、その畳がすべて皆同一の大きさであることをみて取り、襖《ふすま》、窓なぞも細かにそれを視察した。室の一面は小さな庭で、それと反対な側は他の二室に連なり、二室共に同一の庭に向かって開くようになっているが、その二室の小さな方に将軍の御座がある。彼はその目で、将軍の風貌《ふうぼう》をも熟視しようとしたが、それははなはだ難《かた》いことであった。というのは、光線が充分に将軍の御座の所まで達しないのと、謁見の時間が短くて、かつ謁見者があまりに礼を低くする
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