こともまた厳禁たるべきもの。もしこの規則にそむくなら、それは国際法から見て局外中立の法度《はっと》を破るものであるから、敵視せらるるに至ることはもちろんである、万一、これを破るものは軍法によって捕虜とせられ、その積み荷は没収せられ、局外荷主の品たりとも連累《れんるい》の禍《わざわ》いを免るることはできないと心得よ。日本国と合衆国との条約面の権によって、たとい自分の国籍のものたりとも右の規則を破ったものはあえてこれを保護することはできないものである。この布告が合衆国公使ファルケンボルグの名で、日本兵庫神戸にある居留館において、として発表された。
 アメリカ以外の条約国の公使らも、おもてむきこれには異議を唱えるものがなかった。彼らは皆、この局外中立の布告にならった。各国いずれも同じ文句で、ただ公使の名が異なるのみで。でも、生命《いのち》がけの冒険家が集まって来る開港場のようなところには、そう明るい昼間ばかりはない。ユウゼニイと名づくる砲船は十万ドルで肥前《ひぜん》へ売れたといい、ヒンダと名づくる船は十一万ドルで長州へ売れたともいう。その他、買い主と値段のよくわからないまでも、ひそかに内地へ売れたという外国船は幾|艘《そう》かあった。アテリネと名づくる汽船は、これも売り物で、暗夜にまぎれてこっそり兵庫に来たことはすぐその道のものに知れた。

       三

 旧暦の二月にはいって、兵庫にある外国公使らは大坂の会合に赴《おもむ》くため、それぞれしたくをはじめることになった。これは島津修理太夫《しまづしゅりだゆう》をはじめ、毛利長門守《もうりながとのかみ》、細川越中守《ほそかわえっちゅうのかみ》、浅野安芸守《あさのあきのかみ》、松平大蔵大輔《まつだいらおおくらたいふ》(春嶽《しゅんがく》)、それに山内容堂《やまのうちようどう》などの朝廷守護の藩主らが連署しての建議にもとづき、当時の急務は外国との交際を講明しないでは協《かな》わないとの趣意に出たものであった。各国がいよいよ新政府を承認するなら、前例のない京都参府を各国使臣に許されるであろうとの内々の達しまであった。
 それにしても新政府の信用はまだ諸外国の間に薄い。多年、排外の中心地として知られた京都にできた新政府である。この一大改革の機運を迎えて、開国の方向を確定するのが第一だとする新政府の熱心は聞こえても、各国公使らは
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