らげた。吉左衛門は床の上にすわったまま、枕《まくら》を引きよせて、それを膝《ひざ》の上に載せながら、
「まあ、金兵衛さんのところへも顔を出したし、これでおれも気が済んだ。明日か明後日のうちにはお粂《くめ》や宗太を連れて、墓|掃除《そうじ》だけには行って来たい。」
 そう言って、先代隠居半六の命日が近いばかりでなく、村の万福寺の墓地の方には、早世した二人の孫娘が、亡《な》きお夏とお毬《まり》とが、そこに新しい墓を並べて眠っていることまでを、あわれ深く思いやるというふうであった。
「あれもこれもと思うばかりで、なかなか届かないものさね。」
 とも吉左衛門は言い添えた。
 その晩、母屋《もや》の方へ戻《もど》って行く半蔵を送り出した後、吉左衛門はまだ床の上にすわりながら、自分の長い街道生活を思い出していた。半蔵の置いて行った話が心にかかって、枕についてからもいろいろなことを思いつづけた。明日もあらば、と父は思い疲れて寝た。

       七

 六月にはいって、半蔵は尾州家の早い版籍奉還を聞きつけた。彼は福島総管所から来たその通知を父のところへ持って行って読み聞かせた。
[#地から2字上げ]徳川三位中将
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今般版籍奉還の儀につき、深く時勢を察せられ、広く公議を採らせられ、政令帰一の思《おぼ》し召しをもって、言上《ごんじょう》の通り聞こし召され候《そうろう》事。
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 とある。
 これは新政府行政官から出たもので、主上においても嘉納《かのう》あらせられたとの意味の通知である。総管所からはこの趣を村じゅうへもれなく申し聞けよとも書付を添えて、庄屋としての半蔵のもとへ送り届けて来たものである。
 すでに起こって来た木曾福島の関所の廃止、代官所廃止、種々《さまざま》な助郷名目の廃止、刎銭《はねせん》の廃止、問屋の廃止、会所の廃止――この大きな改革は、とうとうここまで来た。さきに版籍奉還を奏請した西南の諸侯はあっても、まだそれが実顕の運びにも至らないうちに、尾州家が率先してこのことを行ない、名を譲って実をあげようとするは、いわれのないことでもない。徳川御三家の随一として、水戸に対し、紀州に対し、その他の多くの諸侯に対し、大義名分を正そうとする尾州家にこのことのあるのは不思議でもない。あの徳川慶喜が大政を奉還し将軍職を辞退した当時、広大な
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