二の舞いを演ずまいとした。人としての彼は「エスイタ教徒の愛嬌《あいきょう》と、ストイック派の樸直《ぼくちょく》と、直進的な気性《きしょう》」とを持っていたと言わるるが、当時の日本人が恐れるところを利用することにかけては全く無遠慮なアメリカ人であった。ともかくも彼は強い力で、その目的を果たした。電信機、機関車、救命船、掛け時計、農作機械、度量衡、地図、海図、その他当時の日本には珍奇な贈り物を残して置いて、この国を去った。しかし彼とても先着のオランダ人と同様に、日本皇帝へささげるための国書が幕府の手に納められ、それが京都までは取り次がれなかった深い事情を知るよしもなかったのである。
 それからの黒船が載せて来た人たちは、いずれもこの国の主権の所在を判断するに苦しんだ。アメリカ最初の領事ハリスでも。イギリス使節エルジンでも。このイギリスの使節が献上した一艘の蒸汽船も、日本皇帝への贈り物であったというが、江戸の役人は幕府へ献上したものだとして、京都まではそれも取り次ごうとしなかった。京都はあっても、ないも同様だ。主権|簒奪《さんだつ》の武将が兵馬を統《す》べ、政事上の力は一切その手にゆだねられていた。
 このことは、しかし在留する外人の次第に感知するところとなって行った。幕府の役人が外人を詐《いつわ》って、将軍は大君で皇帝権を有するものだと信ぜしめたとする英国公使パアクスのような人も出て来た。彼らは兵庫の開港を迫って見、大坂の開市を迫って見て、その時初めて通商条約の勅許の出たのに驚き、まことの主権の所在を突きとめるようになった。種々《さまざま》な行きがかりから言っても、従来開港の方針で進んで来た江戸幕府に同情してひそかにそれを助けようとしているフランス公使ロセスと、この国に革命の起こって来たことを知って西国の雄藩を励まそうとしているイギリス公使パアクスとが、皇帝と大君との真の関係について互いに激論をかわしたということは不思議でもない。

       四

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「今日申し上げ候《そうろう》は大切の儀、わが合衆国の大統領においても重大の儀と存じおり候。申し上げ候儀はいずれも懇切の心より出《い》づる事に候につき、右御心得をもっておきき取り下さるべく候。」
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 最初の米国領事ハリスの口上書をここにすこし引き合いに出したい。極東に市場を開
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