半蔵、福島の方はどうだったい。」
 と吉左衛門が言いかけると、おまんも付け添えるように、
「おとといはお前、中津川の景蔵さんまでお呼び出しで、ちょっと吾家《うち》へも寄って行ってくれたよ。」
「そうでしたか。景蔵さんには寝覚《ねざめ》で行きあいましたっけ。まあ、お役所の方も、お叱《しか》りということで済みました。つまらない疑いをかけられたようなものですけれど、今度のお呼び出しのことは、お父《とっ》さんにもおわかりでしょう。」
「いや、わかるどころか、あんまりわかり過ぎて、おれは心配してやったよ。お前の帰りもおそいものだからね。」
 こんな話がはじまっているところへ、母屋《もや》の方にいた清助も裏二階の梯子段《はしごだん》を上って来た。無事に帰宅した半蔵を見て、清助も「まあ、よかった」という顔つきだ。
「半蔵、お前の留守に、追分《おいわけ》の名主《なぬし》のことが評判になって、これがまた心配の種さ。」と吉左衛門が言って見せた。
「それがです。」と清助もその話を引き取って、「あの名主は親子とも入牢《にゅうろう》を仰せ付けられたとか、いずれ追放か島流しになるとか、いろいろなことを言いましょう。まさか、そんなばかばかしいことが。どうせ街道へ伝わって来るうわさだぐらいに、わたしどもは聞き流していましたけれど、村のうわさ好きな人たちと来たら、得ていろいろなことを言いたがる。今度は本陣の旦那《だんな》も無事にお帰りになれまいなんて。」
 吉左衛門は笑い出した。そして、追分の名主のことについて、何がそんな評判を立てさせたか、名主ともあろうものが腰縄《こしなわ》手錠で松代藩《まつしろはん》の方へ送られたとはどうしたことか、そのいぶかしさを半蔵にたずねた。そういう吉左衛門はいまだに宿駅への関心を失わずにいる。
「お父《とっ》さん、そのことでしたら。」と半蔵は言う。「なんでも、小諸藩《こもろはん》から捕手《とりて》が回った時に、相良惣三の部下のものは戦さでもする気になって、追分の民家を十一軒も焼いたとか聞きました。そのあとです、小諸藩から焼失人へ米を六十俵送ったところが、その米が追分の名主の手で行き渡らないと言うんです。偽《にせ》官軍の落として行った三百両の金も、焼失人へは割り渡らないと言うんです。あの名主は貧民を救えと言われて、偽官軍から米を十六俵も受け取りながら、その米も貧民へは割り
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