手形なしには関所も通られなかった女たちが、男の近親者と連れだち、長途の旅を試みようとして、深い窓から出て来たのだ。そんな人たちの旅姿にも、王政第一の春の感じが深い。そのいずれもが日焼けをいとうらしい白の手甲《てっこう》をはめ、男と同じような参拝者の風俗で、解き放たれて歓呼をあげて行くかにも見えていた。
 次第に半蔵らは淡い雪の溶け流れている街道を踏んで行くようになった。歩けば歩くほど、なんとなく谷の空も明るかった。西から木曾川を伝って来る早い春も、まだまだ霜に延びられないような浅い麦の間に躊躇《ちゅうちょ》しているほどの時だ。それでも三留野《みどの》の宿まで行くと、福島あたりで堅かった梅の蕾《つぼみ》がすでにほころびかけていた。


 午後に、半蔵らは大火のあとを承《う》けてまだ間もない妻籠の宿にはいった。妻籠本陣の寿平次《じゅへいじ》をはじめ、その妻のお里、めっきり年とったおばあさん、半蔵のところから養子にもらわれて来ている幼い正己《まさみ》――皆、無事。でも寿平次方ではわずかに類焼をまぬかれたばかりで、火は本陣の会所まで迫ったという。脇《わき》本陣の得右衛門《とくえもん》方は、と見ると、これは大火のために会所の門を失った。半蔵が福島の方から引き返して、地方《じかた》御役所でしかられて来たありのままを寿平次に告げに寄ったのは、この混雑の中であった。
 もっとも、半蔵は往《い》きにもこの妻籠を通って寿平次の家族を見に寄ったが、わずかの日数を間に置いただけでも、板囲いのなかったところにそれができ、足場のなかったところにそれがかかっていた。そこにもここにも仮小屋の工事が始まって、総督の到着するまでにはどうにか宿場らしくしたいというそのさかんな復興の気象は周囲に満ちあふれていた。
 寿平次は言った。
「半蔵さん、今度という今度はわたしも弱った。東山道軍が見えるにしたところで、君の方はまだいい。昼休みの通行で済むからいい。妻籠を見たまえ、この大火のあとで、しかも総督のお泊まりと来てましょう。」
「ですから、当日の泊まり客は馬籠でも分けて引き受けますよ。いずれ御先触《おさきぶ》れが来ましょう。そうしたら、おおよそ見当がつきましょう。得右衛門さんでも馬籠の方へ打ち合わせによこしてくださるさ。」
「おまけに、妻籠へ割り当てられた松明《たいまつ》も三千|把《ば》だ。いや、村のものは
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