であった。九隻からのイギリス艦隊は薩摩の港に迫ったという。海と陸とでの激しい戦いはすでに戦われたともいうことであった。
五
「青山君――その後の当地の様子は鱗形屋《うろこがたや》の聞書《ききがき》その他の飛脚便によっても御承知のことと思う。大和国《やまとのくに》へ行幸を仰せ出されたのは去る八月十三日のことであった。これは攘夷《じょうい》御祈願のため、神武帝《じんむてい》御山陵ならびに春日社《かすがしゃ》へ御参拝のためで、しばらく御逗留《ごとうりゅう》、御親征の軍議もあらせられた上で、さらに伊勢神宮へ行幸のことに承った。この大和行幸の洛中《らくちゅう》へ触れ出されたのを自分が知ったのは、柳馬場丸太《やなぎのばばまるた》[#ルビの「ばば」はママ]町|下《さが》ル所よりの来状を手にした時であった。これは実にわずか七日前のことに当たる。
――一昨日、十七日の夜の丑《うし》の刻《こく》のころ、自分は五、六発の砲声を枕《まくら》の上で聞いた。寄せ太鼓の音をも聞いた。それが東の方から聞こえて来た。あわやと思って自分は起き出し、まず窓から見ると、会津家《あいづけ》参内《さんだい》の
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