会津桑名の勢力を京都より一掃して、岩倉公らと連絡を取りながら王室回復の実をあげようとするにある。往昔関ヶ原の合戦に屈してからこのかた、西の国のすみに忍耐し続けて来た松平修理太夫領内の健児らが、三世紀にわたる徳川氏の抑圧を脱しようとして、勇敢に動き始めたというは不思議でもない。おまけに相手は防長征討軍の苦《にが》い経験をなめ、いったん討死《うちじに》の覚悟までした討幕の急先鋒《きゅうせんぽう》だ。この尻《しり》押しには、英国公使パアクスのようなロセスの激しい競争者もある。薩摩は挙兵上京と決して海路から三田尻《みたじり》に着こうというのであり、長州でもそれを待って相共に兵を上国に送ろうとして、出発の準備にいそがしかった。いわゆる薩長芸三藩が攻守同盟の成立だ。この形勢をみて取った松平容堂は薩長の態度を飽き足りないとして、一新更始の道を慶喜に建白した。過去の是非曲直を弁難するとも何の益がない、この際は大きく目を開いて万国に対しても恥じないような大根底を打ち建てねばならない、それには天下万民と共に公明正大の道理に帰り、皇国数百年の国体を一変して、王政復古の業を建つべき一大機会に到達したと力説した
前へ
次へ
全434ページ中410ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング