と幕府とが相対立しすべての方針が二途に分かれるような現状を破って、天皇の大御代《おおみよ》を出現しないかぎり、海外諸国の圧迫に対抗してこの国の独立を維持しがたいとの民間志士の信念を受けいれたものも慶喜であった。自ら進んで諸侯の列に下り、この国を郡県の制度の下に置くか、あるいはドイツあたりの連邦の制度に改めるかの一大改革を行ないたいとの念が早くもその胸のうちにきざしはじめていたのもこの新将軍であった。その意味から言って、飽くまで公武一和を念とせられ、王政復古を急ぐ岩倉公らを戒められたという先帝の崩御《ほうぎょ》ほど、この慶喜にとっての深い打撃はなかった。およそ先帝を惜しみ奉らないものはない中で、ことにその悲しみを深くしたものは、言うことなすこと周囲に誤解された慶喜であろう。大政奉還の悲壮な意志は後日を待つまでもなく、おそらく将軍職を拝してから間もなかった霜夜の御野辺送《おんのべおく》りを済ました時に、すでにこの人の内に動いたであろう。
 慶応三年といえば西暦千八百六十七年、実に十九世紀の後半期に当たる。フランスではナポレオン第三世の時代に当たり、イギリスではヴィクトリア女皇の時代に当たる
前へ 次へ
全434ページ中408ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング