しえ》ながらの古に帰れと教えたところにあるのではなくて、新しき古を発見したところにある。
そこまでたどって行って見ると、半蔵は新しき古を人智のますます進み行く「近《ちか》つ代《よ》」に結びつけて考えることもできた。この新しき古は、中世のような権力万能の殻《から》を脱ぎ捨てることによってのみ得らるる。この世に王と民としかなかったような上つ代に帰って行って、もう一度あの出発点から出直すことによってのみ得らるる。この彼がたどり着いた解釈のしかたによれば、古代に帰ることはすなわち自然《おのずから》に帰ることであり、自然《おのずから》に帰ることはすなわち新しき古《いにしえ》を発見することである。中世は捨てねばならぬ。近つ代は迎えねばならぬ。どうかして現代の生活を根からくつがえして、全く新規なものを始めたい。そう彼が考えるようになったのもこの伊那の小さな旅であった。そして、もう一度彼が大平峠を越して帰って行こうとするころには、気の早い一部の同門の人たちが本地垂跡《ほんじすいじゃく》の説や金胎《こんたい》両部の打破を叫び、すでにすでに祖先葬祭の改革に着手するのを見た。全く神仏を混淆《こんこう》して
前へ
次へ
全434ページ中256ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング