へ取り出した。
「さあ、これだ。」
と言って、祭典のおりに供えた記念の品を半蔵にも分けた。
「や、これはよいものをくださる。吾家《うち》の阿爺《おやじ》もさぞ喜びましょう。」
半蔵は手を鳴らしてお民を呼んだ。そこへ来て客をもてなすお民を見ると、正香はすこし改まった顔つきで、
「奥さんには御挨拶《ごあいさつ》をしたぎりで、まだお礼も申しませんでした。いつぞやは、お宅の土蔵の中へ隠していただいた暮田です。」
聞いているものは皆笑い出した。
平田家から条山神社へ寄進のあったという篤胤遺愛の陽石の話になると、一座の中には笑い声が絶えない。陽石――男性の象徴――あれを自分の御霊代《みたましろ》として残し伝えたいとは、先師の生前に考えて置いたことであると言わるるが、平田家ではみだりに他へもらすべき事でないとして、ごく秘密にしていた。いつのまにかそれが世間へ伝聞して、好事《こうず》の者はわけもなしにおもしろがり、高い風評の種となっているところへ、今度条山神社を建てるについてはぜひにとの山吹社中の懇望だったのである。平田家では非常に迷惑がったともいう。天朝かまたは堂上方の内より御所望のあるために山吹の方へ譲らないなぞとは、とんでもない人の言い草で、決してそんなことのあるべきはずがなく、たとい右のようなお召状があっても差し出すべき品ではないと言って断わったという。ところが、山吹社中の方では、印度蔵志《いんどぞうし》の記事まで考証してある先師の遺品だと聞き込んで、懇望してやまない。それほどのお望みとあれば、ということになって、平田家から送られて来たのが御霊代の大陽石だ。それにはいろいろな条件が付いていた。風紀上いかがわしい品であるから、衆人の容易にうかがい見ないようなところにしたい、これを置く場所はいかように小さく粗末でも苦しくない、板宮《いたみや》かまたは厨子《ずし》のような物でもいい、とにかく御同殿の物のない一座ぎりのところで、本殿の後ろの社外に空地《あきち》もあろうから、そんな玉垣《たまがき》の内にでも安置してもらいたい。好事《こうず》の者が盗み取ることもないとは限るまいから堅く鎖を設けてもらいたい、とあったという。
「しかし、平田先生も思い切った物をのこしたものさね。」とだれかがくすくすやる。
「そこがあの本居先生と違うところさ。本居先生の方には男女《おとこおんな》の恋
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