る。御世《みよ》御世の天皇の御政《おんまつりごと》はやがて神の御政であった、そこにはおのずからな神の道があったと教えてある。神の道とは、道という言挙《ことあ》げさえもさらになかった自然《おのずから》だ、とも教えてある。
この自然に帰れ、というふうに、あとから歩いて行くものに全く新しい方向をさし示したのが本居大人の『直毘の霊』だ。このよろこびを知れ、というふうに言葉の探求からはいった古代の発見をくわしく報告したものが、翁の三十余年を費やした『古事記伝』だ。直毘《なおび》(直び)とはおのずからな働きを示した古い言葉で、その力はよく直くし、よく健やかにし、よく破り、よく改めるをいう。国学者の身震いはそこから生まれて来ている。翁の言う復古は更生であり、革新である。天明寛政の年代に、早く夜明けを告げに生まれて来たような翁のさし示して見せたものこそ、まことの革命への道である。
その考えに力を得て、半蔵は寝床の上にすわったまま、膝《ひざ》の上に手を置きながら自分で自分に言って見た。
「寿平次さんの言い草ではないが、われわれは下から見上げればこそ、こんなことを考えるのだ。」
遷宮式のあるという当日には、半蔵は午後から店座敷に敷いてあった寝床を畳んだ。下痢も止まったばかりで、彼はまだ青ざめた顔をしていたが、それでもお民に手伝わせて部屋《へや》の内を掃き、袋戸棚《ふくろとだな》に続いている床の間を片づけた。
遙拝《ようはい》のしるしばかりに国学四大人の霊号を書きつけたものが、やがてその床の間に飾られた。荷田宿禰羽倉大人《かだのすくねはくらのうし》。賀茂県主岡部大人《かものあがたぬしおかべのうし》。秋津彦瑞桜根大人《あきつひこみずさくらねのうし》。神霊能真柱大人《たまのみはしらのうし》。あだかもそれらの四人の大先輩はうちそろってこの辺鄙《へんぴ》な山家へ訪れて来たかのように。そして、半蔵夫婦が供える神酒《みき》や洗米《せんまい》なぞを喜び受けるかのように。
こういう時になくてならないのは清助の手だ。手先のきく清助は半蔵よりずっと器用に、冬菜《ふゆな》、鶯菜《うぐいすな》、牛蒡《ごぼう》、人参《にんじん》などの野菜を色どりよく取り合わせ、干し柿《がき》の類をも添え、台の上に載せて、その床の間を楽しくした。
半蔵夫婦が子供も大きくなった。姉のお粂《くめ》は十二歳、弟の宗太は十
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