十九日であったということを胸に浮かべた。十二月の初めから御不予の御沙汰《ごさた》があり、中旬になって御疱瘡《ごほうそう》と定まって、万民が平和の父と仰ぎ奉った帝《みかど》その人は実に艱難《かんなん》の多い三十七歳の御生涯《ごしょうがい》を終わった。
一方には王政復古を急いで国家の革新を改行しようとする岩倉公以下の人たちがあり、一方には天皇の密勅を奏請して大事を挙《あ》げようとする会津藩主以下の人たちがある。飽くまで公武一和を念とする帝はそのために御病勢を募らせられたとさえ伝えるものがある。雲の上のことは半蔵なぞの想像も及ばない。もちろん、この片田舎《かたいなか》の草叢《くさむら》の中にまで風の便《たよ》りに伝わって来るような流言にろくなことはない。しかし彼はそういう社会の空気を悲しんだ。おそらくこの世をはかなむものは、上御一人《かみごいちにん》ですら意のごとくならない時代の難《かた》さを考えて、聞くまじきおうわさを聞いたように思ったら、一層|厭離《おんり》の心を深くするであろう、と彼には思われた。
枕《まくら》もとには本居宣長の遺著『直毘《なおび》の霊《みたま》』が置いてある。彼はそれを開いた。以前には彼はよくそう考えた、勤王の味方に立とうと思うほどのものは、武家の修養からはいった人たちでも、先師らのあとを追うものでも、互いに執る道こそ異なれ、同じ復古を志していると。種々《さまざま》な流言の伝わって来る主上の崩御《ほうぎょ》に際会して見ると、もはやそんな生《なま》やさしいことで救われる時とは見えなかった。その心から、彼は本居大人の遺著を繰り返して見て、日ごろたましいの支柱と頼む翁の前に自分を持って行った。
宣長の言葉にいわく、
「古《いにしえ》の大御世《おおみよ》には、道といふ言挙《ことあ》げもさらになかりき。」
また、いわく、
「物のことわりあるべきすべ、万《よろず》の教《おしえ》ごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国《あだしくに》の沙汰《さた》なり。異国は、天照大御神《あまてらすおおみかみ》の御国にあらざるが故《ゆえ》に、定まれる主《きみ》なくして、狭蝿《さばえ》なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心《ひとごころ》あしく、ならはしみだりがはしくして、国をし取りつれば、賤《いや》しき奴《やっこ》も忽《たちま》ちに君ともなれば、上《かみ》とある
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