もあって、とても一方の主将の任はお請けができない、今般自分が上京する主意は将軍の進発もあらせらるる時勢を傍観するに忍びないからであって、全く一己《いっこ》の微忠を尽くしたい存慮にほかならない、この上、しいて総督を命ぜられてもお請けは申し上げがたいと決心した次第である、事実自分には行き届かない、気の毒ではあるが悪《あ》しからず、ということであったのだ。この先手総督の引き受けには紀州でもよほど躊躇《ちゅうちょ》の色が見えた。先年来の大坂守備で国力もすでに尽きたと言って、十万両の軍用金を幕府に仰いだ上、ようやく出陣の将士を軍艦で和歌の浦から送り出したのは、前の年の十二月のことに当たる。
幕府の親藩でもこのとおりだ。水戸はまず疑われ、一橋は排斥せられ、尾州まで手を引いた。あだかも、十四代から続いた大身代《おおしんだい》が傾きかけて見ると、主家を思う親戚《しんせき》がかえって邪魔扱いにされて、一人《ひとり》去り、二人《ふたり》去りして行く趣に似ている。この際、どんな無理をしても一番の先鋒隊《せんぽうたい》から十六番隊までの諸隊を芸州表《げいしゅうおもて》に繰り出させ、長州はじめ幕府に離反するものを圧倒しようとするこの軍役の前途には、全く測りがたいものがあった。ただ、幕府方の勝利が疑いないとか、大勝利は近いうちにあるとか、そんなむなしい声が木曾街道にまで響けて来ているのみだった。
名古屋へ向けて半蔵がたつ日の朝には、お民をはじめ下男の佐吉まで暗いうちから起きて、母屋《もや》の囲炉裏《いろり》ばたや勝手口で働いた。隣近所でまだ戸をしめて寝ているうちに早く主人をたたせたいという家のものの心づかいからで。
「大旦那《おおだんな》、お早いなし。」
と言って、佐吉の掛ける声までが早立ちの朝らしい。吉左衛門夫婦が裏の隠居所の方から半蔵を見送りに来たころは、まだそこいらは薄暗かった。
「時に、半蔵はどうする。」と吉左衛門があたりを見回した。「中津川までは佐吉に送らせるか。」
「ええ、おれがお供するわいなし。」と佐吉は心得顔に、「おれはもうそのつもりで、自分の草鞋《わらじ》までそろえて置いたで。」
「たぶん、香蔵さんと一緒に名古屋へ行くことになりましょう。中津川まで行って見た様子です。今度は美濃《みの》方面の人たちにもあえるだろうと思います。」と半蔵は言った。
「さあ、西の方の模様も
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