馬籠の宿場では慶応二年の七月を迎えている。毎年上り下りの大名がおびただしい人数を見る盆前の季節になっても、通行はまれだ。わずかに野尻《のじり》泊まり、落合泊まりで上京する信州|小諸《こもろ》城主牧野|遠江守《とおとうみのかみ》の一行をこの馬籠峠の上に迎えたに過ぎない。これは東山道方面ばかりでないと見えて、豊川稲荷《とよかわいなり》から秋葉山へかけての参詣《さんけい》を済まして帰村したものの話に、旅人の往来は東海道筋にも至って寂《さみ》しかったという。人馬共に通行は一向になかったともいう。街道もひっそりとしていた。
「半蔵、長州征伐のことはどうなったい。」
夕方から半蔵が父の隠居する裏二階の方へのぼって行って見ると、吉左衛門はまずそれを半蔵にきいた。物情騒然とも言うべき時局のことは、半蔵ばかりでなく、年老いた吉左衛門の心をも静かにしては置かなかった。
父が住む裏二階には、座敷先のような仮廂《かりびさし》こそ掛けてないが、二間ある部屋《へや》の襖《ふすま》も取りはずして、きびしい残暑も身にしみるというふうに、そこいらは風通しよく片づけてある。一日|母屋《もや》の方に働いていた継母のおまんも、父のそばに戻《もど》って来ている。父は先代の隠居半六が余生を送ったこの同じ部屋にすわって、相手のおまんに肩なぞをもませながら、六十八年の街道生活を思い出しているような人である。
「西の方の様子はどうかね。」とおまんまでが父の背後《うしろ》にいてそれを半蔵にたずねた。
「なんですか、こんな山の中にいたんじゃ、さっぱり本当のことがわかりません。小倉《こくら》方面に戦争のあったことまではよくわかってますがね、あれから以後は確かな聞書《ききがき》も手に入りません。幕府方の勝利は疑いないとか、大勝利は近いうちにあるとか、そんな雲をつかむようなことばかりです。」と半蔵が答える。
「まあ、しかしおれは隠居の身だ。」と吉左衛門は言った。「きょうは佐吉を連れて、墓|掃除《そうじ》に行って来たよ。もう盆も近いからな。」
吉左衛門とおまんとは、新たに子供を失った半蔵よりもお民の方を案じて、中津川からもらった瓜《うり》も新しい仏のために取って置こうとか、本谷というところへ馬買いに行ったものから土産《みやげ》にと贈られた桃も亡《な》き孫娘(お夏)の霊前に供えようとか、そんな老夫婦らしい心づかいをして
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