する建白書《けんぱくしょ》を幕府に提出した。それを約《つづ》めて言えば、旧冬尾州の御隠居を総督として長州兵が京都包囲の責めを問うた時、長州藩でもその罪に伏し、罪魁《ざいかい》の老臣と参謀の家臣らを処刑して謹慎の意を表したことで、この上は大膳《だいぜん》父子をはじめ長防二州の処置を適当に裁決あることと心得ていたところ、またまた将軍の進発と聞いては天下の人心は愕然《がくぜん》たるのほかはないというにある。幸いに最初の長州征伐は戦争にも及ばずに済み、朝野《ちょうや》ともようやく安堵《あんど》の思いをしたところ、またまた大兵を動かすとあっては諸大名の困窮、万民の怨嗟《えんさ》はまことに一方《ひとかた》ならないことで、この上どんな不測な変が生じないとも計りがたいというにある。軽々しく事を挙《あ》げるのは慎まねばならない、天下の乱階《らんかい》となることは畏《おそ》れねばならない、今度仰せ出されたところによると大膳父子に悔悟の様子もなくその上に容易ならぬ企てが台聴《たいちょう》に達したとあるが、もし父子の譴責《けんせき》が厳重に過ぎて一同死守の勢いにもならば実に容易ならぬ事柄だというにある。当今は人心沸騰の時勢、何事も叡慮《えいりょ》を伺った上でないと朝廷の思《おぼ》し召しはもとより長防鎮庄の運命もどうなることであろうか、今般の征伐はしばらく猶予され、大小の侯伯の声に聞いて国是《こくぜ》を立てられたい、長州一藩のゆえをもって皇国|擾乱《じょうらん》の緒を開くようではいったんの盛挙もかえって後日の害となるべきかと深く憂慮されるというにある。
 しかし、幕府ではこれらの建白に耳を傾けようとしなかった。細川のような徳川|譜代《ふだい》と同様の感のあった大諸侯までが参覲交代の復旧を非難するとは幕府としては堪《た》えられなかったことで、この際どんな無理をしても幕府の頽勢《たいせい》を盛り返し、自己《おのれ》にそむくものは討伐し、日光山大法会の余勢と水戸浪士三百五十余人を斬《き》った権幕《けんまく》とで、年号まで慶応元年と改めた東照宮二百五十回忌を期とし、大いに回天《かいてん》の翼を張ろうとした。
 事実、幕府では回天、回陽《かいよう》と命名せらるべき二隻の軍艦を造る準備最中の時でもあった。この二艦の名ほど当時の幕府の真相をよく語って見せているものもない。もう一度太陽のかがやきを見たいとは
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