山麓《おんたけさんろく》に産する薬種の専売は同藩が財源の一つと数えられた。人参《にんじん》の栽培は木曾地方をはじめ、伊那、松本辺から、佐久の岩村田、小県《ちいさがた》の上田、水内《みのち》の飯山《いいやま》あたりまでさかんに奨励され、それを尾州藩で一手《いって》に買い上げた。尾州家の御用という提灯《ちょうちん》をふりかざし、尾州御薬園御用の旗を立てて、いわゆる尾張薬種の荷が木曾の奥筋から馬籠《まごめ》へと運ばれて来る光景は、ちょっと他の街道に見られない図だ。
 五月にはいって、半蔵は木曾福島の地方御役所《じかたおやくしょ》から呼ばれた用向きを済まし、同行した宿方のものと一緒に馬籠へ帰って来た。その用向きは、前年十二月に尾州藩から仰せ出された献金の件で、ようやくその年の五月に福島へ行って献納の手続きを済まして来たところであった。献金の用途とはほかでもない。尾州の御隠居を征討総督にする最初の長州征伐についてである。
 最初、長州征伐のことが起こった時、あれは半蔵が木曾下四宿の総代として江戸に出ていたころで、尾州藩では木曾谷中三十三か村の庄屋あてに御隠居の直書《じきしょ》になる依頼状を送ってよこした。それには、今般長州征伐の件で格別の台命《たいめい》をこうむり病中を押して上京することになった、その上で西国筋へ出陣にも及ばねばならないということから始めて、この容易ならぬ用途はさらに見当もつかないほど莫大《ばくだい》なことであると書いてあり、従来|不如意《ふにょい》な勝手元でほかに借財の途《みち》もほとんど絶えている、この上は領民において入費を引き受けてくれるよりほかにない、これは木曾地方の領民にのみ負担させるわけでもない、もとよりこれまで追い追いと調達を依頼し実に気の毒な次第ではあるが、尋常ならぬ時勢をとくと会得《えとく》して今般の費用を調《ととの》えるよう、よくよく各村民へ言い聞かせてもらいたいとの意味が書いてあった。
 この御隠居の依頼状に添えて、尾州家の年寄衆からも別に一通の回状を送ってよこした。それもやはり領民へ献金依頼のことを書いたもので、御隠居が直書《じきしょ》をもって仰せ出されるほどこの非常時の入費については心配しておらるる次第である、方今《ほうこん》の形勢は上下一致の力に待つのほかはない、領民一同報国の至誠を励むべき時節に差し迫ったと書いてあり、これまでとて
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