大切な帳面や腰の物を長持に入れ、青野という方まで運ぶものがある。


 旧暦十一月の末だ。二十六日には冬らしい雨が朝から降り出した。その日の午後になると、馬籠宿内の女子供で家にとどまるものは少なかった。いずれも握飯《むすび》、鰹節《かつおぶし》なぞを持って、山へ林へと逃げ惑うた。半蔵の家でもお民は子供や下女を連れて裏の隠居所まで立ち退《の》いた。本陣の囲炉裏《いろり》ばたには、栄吉、清助をはじめ、出入りの百姓や下男の佐吉を相手に立ち働くおまんだけが残った。
「姉《あね》さま。」
 台所の入り口から、声をかけながら土間のところに来て立つ近所の婆《ばあ》さんもあった。婆さんはあたりを見回しながら言った。
「お前さまはお一人《ひとり》かなし。そんならお前さまはここに残らっせるつもりか。おれも心細いで、お前さまが行くなら一緒に本陣林へでも逃げずかと思って、ちょっくら様子を見に来た。今夜はみんな山で夜明かしだげな。おまけに、この意地の悪い雨はどうだなし。」
 独《ひと》り者の婆さんまでが逃げじたくだ。
 半蔵は家の外にも内にもいそがしい時を送った。水戸浪士をこの峠の上の宿場に迎えるばかりにしたくのできたころ、彼は広い囲炉裏ばたへ通って、そこへ裏二階から母屋《もや》の様子を見に来る父|吉左衛門《きちざえもん》とも一緒になった。
「何しろ、これはえらい騒ぎになった。」と吉左衛門は案じ顔に言った。「文久元年十月の和宮《かずのみや》さまがお通り以来だぞ。千何百人からの同勢をこんな宿場で引き受けようもあるまい。」
「お父《とっ》さん、そのことなら、落合の宿でも分けて引き受けると言っています。」と半蔵が言う。
「今夜のお客さまの中には、御老人もあるそうだね。」
「その話ですが、山国兵部という人はもう七十以上だそうです。武田耕雲斎、田丸稲右衛門、この二人も六十を越してると言いますよ。」
「おれも聞いた。人が六、七十にもなって、全く後方《うしろ》を振り返ることもできないと考えてごらんな。生命《いのち》がけとは言いながら――えらい話だぞ。」
「今度は東湖先生の御子息さんも御一緒です。この藤田小四郎という人はまだ若い。二十三、四で一方の大将だというから驚くじゃありませんか。」
「おそろしく早熟なかただと見えるな。」
「まあ、お父《とっ》さん。わたしに言わせると、浪士も若いものばかりでしたら、京都
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