突撃に移った。あたりはもう暗い。諏訪方ではすでに浮き腰になるもの、後方の退路を危ぶむものが続出した。その時はまだまだ諏訪勢の陣は堅く、樋橋に踏みとどまって頑強《がんきょう》に抵抗を続けようとする部隊もあったが、崩《くず》れはじめた全軍の足並みをどうすることもできなかった。もはや松本方もさんざんに見えるというふうで、早く退こうとするものが続きに続いた。
とうとう、田沼|玄蕃頭《げんばのかみ》は来なかった。合戦は諏訪松本両勢の敗退となった。にわかの火の手が天の一方に揚がった。諏訪方の放火だ。浪士らの足だまりをなくする意味で、彼らはその手段に出た。樋橋村の民家三軒に火を放って置いて退却し始めた。白昼のように明るく燃え上がる光の中で、諏訪方にはなおも踏みとどまろうとする勇者もあり、ただ一人元の陣地に引き返して来て二発の大砲を放つものさえあった。追撃の小競合《こぜりあ》いはそこにもここにもあった。そのうちに放火もすこし下火になって、二十日の夜の五つ時の空には地上を照らす月代《つきしろ》とてもない。敵と味方の見定めもつかないような深い闇《やみ》が総崩れに崩れて行く諏訪松本両勢を包んでしまった。
この砥沢口の戦闘には、浪士側では十七人ほど討死《うちじに》した。百人あまりの鉄砲|疵《きず》鎗疵なぞの手負いを出した。主将耕雲斎も戦い疲れたが、また味方のもの一同を樋橋に呼び集めるほど元気づいた。湊《みなと》出発以来、婦人の身でずっと陣中にある大納言《だいなごん》の簾中《れんちゅう》も無事、山国親子も無事、筑波《つくば》組の稲右衛門、小四郎、皆無事だ。一同は手分けをして高島陣地その他を松明《たいまつ》で改めた。そこの砦《とりで》、ここの胸壁の跡には、打ち捨ててある兜《かぶと》や小銃や鎗や脇差《わきざし》や、それから床几《しょうぎ》陣羽織《じんばおり》などの間に、目もあてられないような敵味方の戦死者が横たわっている。生臭《なまぐさ》い血の臭気《におい》はひしひしと迫って来る夜の空気にまじって一同の鼻をついた。
耕雲斎は抜き身の鎗を杖《つえ》にして、稲右衛門や兵部や小四郎と共に、兵士らの間をあちこちと見て回った。戦場のならいで敵の逆襲がないとは言えなかった。一同はまたにわかに勢ぞろいして、本陣の四方を固める。その時、耕雲斎は一手の大将に命じ、味方の死骸《しがい》を改めさせ、その首を打ち
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