りの小脇差《こわきざし》しか差していない。その尖端《せんたん》が相手に触れたか触れないくらいのことに先方の浪人は踵《きびす》を反《かえ》して、一目散に逃げ出した。こちらもびっくりして、抜き身の刀を肩にかつぎながら、あとも見ずに逃げ出して帰ったという。これがわずかに十六歳ばかりの当時の水戸の少年だ。
二階がある。座敷がある。酒が置いてある。その酒楼の二階座敷の手摺《てすり》には、鎗《やり》ぶすまを造って下からずらりと突き出した数十本の抜き身の鎗がある。町奉行のために、不逞《ふてい》の徒の集まるものとにらまれて、包囲せられた二人《ふたり》の侍がそこにある。なんらの罪を犯した覚えもないのに、これは何事だ、と一人の侍が捕縛に向かって来たものに尋ねると、それは自分らの知った事ではない。足下《そっか》らを引致《いんち》するのが役目であるとの答えだ。しからば同行しようと言って、数人に護《まも》られながら厠《かわや》にはいった時、一人の侍は懐中の書類をことごとく壺《つぼ》の中に捨て、刀を抜いてそれを深く汚水の中に押し入れ、それから身軽になって連れの侍と共に引き立てられた。罪人を乗せる網の乗り物に乗せられて行った先は、町奉行所だ。厳重な取り調べがあった。証拠となるべきものはなかったが、二人とも小人目付《こびとめつけ》に引き渡された。ちょうど水戸藩では佐幕派の領袖《りょうしゅう》市川三左衛門《いちかわさんざえもん》が得意の時代で、尊攘派征伐のために筑波《つくば》出陣の日を迎えた。邸内は雑沓《ざっとう》して、侍たちについた番兵もわずかに二人のみであった。夕方が来た。囚《とら》われとなった連れの侍は仲間にささやいて言う。自分はかの反対党に敵視せらるること久しいもので、もしこのままにいたら斬《き》られることは確かである、彼らのために死ぬよりもむしろ番兵を斬りたおして逃げられるだけ逃げて見ようと思うが、どうだと。それを聞いた一人の方の侍はそれほど反対党から憎まれてもいなかったが、同じ囚われの身でありながら、行動を共にしないのは武士のなすべきことでないとの考えから、その夜の月の出ないうちに脱出しようと約束した。待て、番士に何の罪もない、これを斬るはよろしくない、一つ説いて見ようとその侍が言って、番士を一室に呼び入れた。聞くところによると水府は今非常な混乱に陥っている、これは国家危急の秋《とき》
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