」
幸兵衛と半蔵とはかなり庄屋気質《しょうやかたぎ》を異にしていた。不思議にも、旅は年齢の相違や立場を忘れさせる。半蔵は宿屋のかみさんが貸してくれた糊《のり》のこわい浴衣《ゆかた》の肌《はだ》ざわりにも旅の心を誘われながら、黙しがちにみんなの話に耳を傾けた。
「どうも、油断のならない世の中になりました。」と隠居は言葉をつづけて、「大店《おおだな》は大店で、仕入れも手控え、手控えのようです。おまけに昼は押し借り、夜は強盗の心配でございましょう。まあ、手前どもにはよくわかりませんが、お屋敷方の御隠居でも若様でも御簾中《ごれんちゅう》でも御帰国御勝手次第というような、そんな御改革はだれがしたなんて、慶喜公を恨んでいるものもございます。あの豚一様《ぶたいちさま》(豚肉を試食したという一橋公の異名)か、何も知らないものは諧謔《ふざけ》半分にそんなことを申しまして、とかく江戸では慶喜公の評判がよくございません……」
江戸の話は尽きなかった。
その晩、半蔵はおそくまでかかって、旅籠屋の行燈《あんどん》のかげで郷里の伏見屋伊之助あてに手紙を書いた。町々では夜燈なしに出歩くことを禁ぜられ、木戸木戸は堅く閉ざされた。警察もきびしくなって、その年の四月以来江戸市中に置かれたという邏卒《らそつ》が組の印《しる》しを腰につけながら屯所《たむろしょ》から回って来た。それすら十一屋の隠居のように町に居住するものから言わせれば、実に歯がゆいほどの巡回の仕方で。
二
江戸の旅籠屋《はたごや》は公事宿《くじやど》か商人宿のたぐいで、京坂地方のように銀三匁も四匁も宿泊料を取るようなぜいたくを尽くした家はほとんどない。公用商用のためこの都会に集まるものを泊めるのが旨としてあって、家には風呂場《ふろば》も設けず、膳部《ぜんぶ》も台所で出すくらいで、万事が実に質素だ。しかし半蔵が十年前に来て泊まって見たころとは宿賃からして違う。昼食抜きの二百五十文ぐらいでは泊めてくれない。
道中奉行の意向がわかってから、間もなく半蔵は両国の十一屋を去ることにした。同行の二人《ふたり》の庄屋をそこに残して置いて、自分だけは本所相生町《ほんじょあいおいちょう》の方へ移った。同じ本所に住む平田同門の医者の世話で、その人の懇意にする家の二階に置いてもらうことをしきりに勧められたからで。
半蔵が移って行っ
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