そこに発達したのに不思議はなかったかもしれない。すくなくもそこに修業時代を送って、そういう進んだ地方の空気の中に僧侶《そうりょ》としてのたましいを鍛えて来た松雲が、半蔵にはうらやましかった。その隣の国に比べると、この山里の方にあるものはすべておそい。あだかも、西から木曾川を伝わって来る春が、両岸に多い欅《けやき》や雑木の芽を誘いながら、一か月もかかって奥へ奥へと進むように。万事がそのとおりおくれていた。
その時、半蔵は鶴松を顧みて、
「あの山の向こうが中津川《なかつがわ》だよ。美濃はよい国だねえ。」
と言って見せた。何かにつけて彼は美濃|尾張《おわり》の方の空を恋しく思った。
もう一度半蔵が鶴松と一緒に茶屋へ引き返して見ると、ちょうど伏見屋の下男がそこへやって来るのにあった。その男は庄兵衛の方を見て言った。
「吾家《うち》の旦那《だんな》はお寺の方でお待ち受けだげな。和尚さまはまだ見えんかなし。」
「おれはさっきから来て待ってるが、なかなか見えんよ。」
「弁当持ちの人足も二人出かけたはずだが。」
「あの衆は、いずれ途中で待ち受けているずらで。」
半蔵がこの和尚を待ち受ける心は
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