動いた。この鄙《ひな》びた舞踏の輪は九度も花嫁の周囲《まわり》を回った。
 その晩、盃《さかずき》をすましたあとの半蔵はお民と共に、冬の夜とも思われないような時を送った。半蔵がお民を見るのは、それが初めての時でもない。彼はすでに父と連れだって、妻籠にお民の家を訪《たず》ねたこともある。この二人の結びつきは当人同志の選択からではなくて、ただ父兄の選択に任せたのであった。親子の間柄でも、当時は主従の関係に近い。それほど二人は従順であったが、しかし決して安閑としてはいなかった。初めて二人が妻籠の方で顔を見合わせた時、すべてをその瞬間に決定してしまった。長くかかって見るべきものではなくて、一目に見るべきものであったのだ。
 店座敷は東向きで、戸の外には半蔵の好きな松の樹《き》もあった。新しい青い部屋《へや》の畳は、鶯《うぐいす》でもなき出すかと思われるような温暖《あたたか》い空気に香《かお》って、夜遊び一つしたことのない半蔵の心を逆上《のぼ》せるばかりにした。彼は知らない世界にでもはいって行く思いで、若さとおそろしさのために震えているようなお民を自分のそばに見つけた。


「お父《とっ》さん―
前へ 次へ
全473ページ中65ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング