こして置いて行った大きな仕事を想像するような若者であった。
 黒船は、実にこの半蔵の前にあらわれて来たのである。

       三

 その年、嘉永《かえい》六年の十一月には、半蔵が早い結婚の話も妻籠《つまご》の本陣あてに結納《ゆいのう》の品を贈るほど運んだ。
 もはや恵那山《えなさん》へは雪が来た。ある日、おまんは裏の土蔵の方へ行こうとした。山家のならわしで、めぼしい器物という器物は皆土蔵の中に持ち運んである。皿《さら》何人前、膳《ぜん》何人前などと箱書きしたものを出したり入れたりするだけでも、主婦の一役《ひとやく》だ。
 ちょうど、そこへ会所の使いが福島の役所からの差紙《さしがみ》を置いて行った。馬籠《まごめ》の庄屋《しょうや》あてだ。おまんはそれを渡そうとして、夫《おっと》を探《さが》した。
「大旦那《おおだんな》は。」
 と下女にきくと、
「蔵の方へおいでだぞなし。」
 という返事だ。おまんはその足で、母屋《もや》から勝手口の横手について裏の土蔵の前まで歩いて行った。石段の上には夫の脱いだ下駄《げた》もある。戸前の錠もはずしてある。夫もやはり同じ思いで、婚礼用の器物でも調べて
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