通る旅の衆が評判したくらいの人だったぞなし。あのお袖さまが煩《わずら》って亡《な》くなったのは、あれはお前さまを生んでから二十日《はつか》ばかり過ぎだったずら。おれはお前さまを抱いて、お母《っか》さまの枕《まくら》もとへ連れて行ったことがある。あれがお別れだった。三十二の歳《とし》の惜しい盛りよなし。それから、お前さまはまた、間もなく黄疸《おうだん》を病《や》まっせる。あの時は助かるまいと言われたくらいよなし。大旦那《おおだんな》(吉左衛門)の御苦労も一通りじゃあらすか。あのお母《っか》さまが今まで達者《たっしゃ》でいて、今度のお嫁取りの話なぞを聞かっせいたら、どんなだずら――」
半蔵も生みの母を想像する年ごろに達していた。また、一人《ひとり》で両親を兼ねたような父吉左衛門が養育の辛苦を想像する年ごろにも達していた。しかしこのおふき婆さんを見るたびに、多く思い出すのは少年の日のことであった。子供の時分の彼が、あれが好きだったとか、これが好きだったとか、そんな食物のことをよく覚えていて、木曾の焼き米の青いにおい、蕎麦粉《そばこ》と里芋《さといも》の子で造る芋焼餅《いもやきもち》なぞを数
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