ったという。近衛忠熙《このえただひろ》は潜み、中川宮(青蓮院《しょうれんいん》)も隠れた。
二
香蔵は美濃《みの》中津川の問屋《といや》に、半蔵は木曾《きそ》馬籠《まごめ》の本陣に、二人《ふたり》は同じ木曾街道筋にいて、京都の様子を案じ暮らした。二人の友人で、平田|篤胤《あつたね》没後の門人仲間なる景蔵は、当時京都の方にあって国事のために奔走していたが、その景蔵からは二人あてにした報告がよく届いた。いろいろなことがその中に報じてある。帝《みかど》には御祈願のため、すでに加茂《かも》へ行幸せられ、そのおりは家茂および一橋慶喜以下の諸有司、それに在京の諸藩士が鳳輦《ほうれん》に供奉《ぐぶ》したことが報じてあり、さらに石清水《いわしみず》へも行幸の思《おぼ》し召しがあって、攘夷の首途《かどで》として男山八幡《おとこやまはちまん》の神前で将軍に節刀を賜わるであろうとのおうわさも報じてある。これらのことは、いずれも攘夷派の志士が建白にもとづくという。のみならず、場合によっては帝の御親征をすら望んでいる人たちのあることが報じてある。この京都|便《だよ》りを手にするたびに、香蔵に
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