な行列によって葬儀が営まれた。そればかりでなく、外人は集会して強い態度を執ることを申し合わせた。神奈川奉行を通じて、凶行者の逮捕せられるまでは島津氏の西上を差し止められたいとの抗議を持ち出したが、薩摩の一行はそれを顧みないで西に帰ってしまった。
この事件の起こった前月には仏国公使館付きの二人の士官が横浜|港崎町《こうざきちょう》の辺で重傷を負わせられ、同じ年の十二月の夜には品川《しながわ》御殿山《ごてんやま》の方に幕府で建造中であった外国公使館の一区域も長州人士のために焼かれた。排外の勢いはほとんど停止するところを知らない。当時の英国代理公使ニイルは、この日本人の態度を改めさせなければならないとでも考えたものか、横浜在留外人の意見を代表し、断然たる決心をもって生麦事件の責任を問うために幕府に迫って来た。海軍少将クロパアの率いる十一隻からの艦隊が本国政府の指令のもとに横浜に到着したのは、その結果だ。
このことが将軍家茂滞在中の京都の方に聞こえた。イギリス側の抗議は強硬をきわめたもので、英国臣民が罪なしに殺害せられるような惨酷《ざんこく》な所業に対し、日本政府がその当然の義務を怠るのみ
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