く》を設置し、三百余人の番衆の子弟をしてそれに当たらせるなぞのことがあればあるほど、多くの人の反感はますます高まるばかりであった。そこへ生麦事件だ。
 生麦事件とは何か。これは意外に大きな外国関係のつまずきを引き起こした東海道筋での出来事である。時は前年八月二十一日、ところは川崎駅に近い生麦村、香港《ホンコン》在留の英国商人リチャアドソン、同じ香港《ホンコン》より来た商人の妻ボロオデル、横浜在留の英国商人マアシャル、およびクラアク、この四人のものが横浜から川崎方面に馬を駆って、おりから江戸より帰西の途にある薩摩《さつま》の島津久光《しまづひさみつ》が一行に行きあった。勅使|大原左衛門督《おおはらさえもんのかみ》に随行して来た島津氏の供衆も数多くあって帰りの途中も混雑するであろうから、ことに外国の事情に慣れないものが多くて自然行き違いを生ずべき懸念《けねん》もあるから、当日は神奈川《かながわ》辺の街道筋を出歩くなとは、かねて神奈川奉行から各国領事を通じて横浜居留の外国人へ通達してあったというが、その意味がよく徹底しなかったのであろう。馬上の英国人らは行列の中へ乗り入れようとしたのでもなか
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